日本学術会議問題の陥穽(落とし穴):菅首相は「仕事師」に撤せよ! | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 日本学術会議問題が、国会の一つの争点になっている。前例踏襲をやめて行政改革を断行しようという菅首相にとっては打撃である。私は、この組織は廃止すべきであると考えるが、この問題で、船出した菅政権が足を引っ張られるのは残念だ。

 政治家を「イデオロギー型」と「実務型」分類すると、ナショナリズムの旗を掲げて、極右陣営にまで支持を拡大したのが安倍首相であり、典型的なイデオロギー型である。一方、思想信条を前面に出さずに、コツコツと実績を積み上げていくのが実務型・官僚型で、菅首相はこの型のはずである。

 携帯電話料金の引き下げ、不妊治療の保険適用、オンライン診療の恒久化などの政策を見れば、そのことがよく分かる。

 携帯電話料金が安くなったり、不妊治療に保険が適用されたりするのに反対する国民はあまりいない。だからこそ、国民は菅内閣を高く評価したのである。任期はわずか1年である。その間に成果を上げようと思えば、国民が成果を実感できるように実務的に仕事をこなしていくしかない。

 ところが、イデオロギー型政治手法が突出したようなイメージになってしまった。学術会議問題は、「右派による左翼学者の切り捨て」とイメージされたのだ。地味で、裏方に徹し、政治色がないことが菅首相のセールスポイントである。それが、就任1ヶ月にして、「学問の自由を弾圧する右寄りの強権政権」という烙印を押されることになった。

 10月17日に実施された故中曽根元首相に内閣と自民党の合同葬儀について、文科省が国立大学に弔意表明を求める通知を出したことも批判された。歴代首相のうち、小渕恵三(2000年)、鈴木善幸(2004年)、橋本龍太郎(2006年)の葬儀の際にも、同様な通知を出しているが、今回はタイミングが悪い。日本学術会議の問題が争点になっているときに、火に油を注ぐようなことをするのは政治的に賢くない。

 過去の首相を振り返ってみると、「戦後政治の総決算」をうたった中曽根康弘首相もイデオロギー型であった。

 逆に、実務型と言えば、たとえば、鈴木善幸首相や私が閣僚として仕えた福田康夫首相があげられる。前者は大平正芳首相の急死に、後者は安倍首相の病気による辞任に伴い、首相の座に就いた。いずれも、予期せぬ出来事に対応したリリーフ登板であった。

前者は、1980年7月17日から1981年11月30日まで約1年4ヶ月、後者は2007年9月26日から2008年8月2日まで約10ヶ月続いた内閣で、いずれも短命に終わっている。そして、両者とも、「人心一新」を掲げて、自らの意志で身を引いている。「政権の投げ出し」と批判する者もいる。

 菅首相は、実務型政治に撤し、仕事師として実績を積み上げるべきだ。1年しかない人気を伸ばせるのかどうか、いきなり試練に直面している。