オウム真理教事件とは何だったのか | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 地下鉄サリン事件から24年。オウム真理教事件の再来はないのか。

 私は、欧州留学から帰国後、東大(駒場キャンパス)で教養課程の政治学を教えていたが、理科系(理Ⅰ,理Ⅱ、理Ⅲ)の学生を対象にすることが多かった。そのため、その教え子で、医者になった優秀な学生で、オウム真理教に走り、犯罪行為を行った者がいた。

   私にとっては大きなショックであり、高学歴エリートがカルト(狂信的集団)に吸い込まれるメカニズムを解明することを責務と感じて、『戦後日本の幻影<オウム真理教>、彼らはどこから来て、どこへ行くのか!?』(1995年、現代書林、絶版)を書いた。

   第1に、オウム真理教の信者には、理科系のエリートや反抗期を経験していない者が多いが、それは戦後の教育や家庭のあり方を見直す必要を迫っている。憲法の「信教の自由」の前に、宗教法人法によってカルトすら聖域化されている状況もある。

  第2に、若者たちの思想と行動を分析すると、幾つかの特色が浮かび上がってくる。①諸外国の若者に比べて、日本の若者は攻撃性が著しく低下していることである。これは、戦後の日本が戦争や軍事について正面から取り組んでこなかったからである。麻原がハルマゲドン(世界最終戦争)という妄想を語り、「戦争ごっこ」を始めると、「戦争を知らない子供たち」はゲーム感覚で、この「戦争ごっこ」に加担する。②親や教師の威信が低下し、家庭における「父親不在」が反抗期無き若者を生んだのである。麻原が「強い父親」の役割を担った。③受験競争、偏差値教育の若者は、他人からの評価に敏感である。麻原から「君たちこそ、ハルマゲドンから人類を救うエリートだ」と言われると、すっかりその気になる。オウムは、点数で、つまり目に見える形で昇進システムを確立したが、これは偏差値評価と整合的である。

  第3に、当時の若者たちを取り巻く環境である。テレビやコンピューターが原風景であり、本当の現実よりも仮想現実(ヴァーチャル・リアリティ)のほうが先行する。①SFアニメが大流行し、「宇宙戦艦ヤマト」のようなストーリーが現実化するような錯覚を抱く、②超能力、オカルト、超常現象がブームになり、麻原の「空中浮揚」を信じるような素地ができた、③パソコンの急速な普及、とくにコンピューター・ゲームの隆盛は仮想現実を体験させる。

  人を殺しても、リセットすれば生き返るので、それが殺人を気軽に行わせることにつながった。本当の戦争を知っていれば、こうはならないだろう。そして、戦後の科学万能主義の下では、哲学や文学や歴史がきちんと教えられてこなかった

  麻原は空想虚言のデマゴーグであり、ヒトラーがユダヤ人の陰謀を自らの正当化に使ったのと同様に、麻原もハルマゲドンを犯罪行為の大義名分とした。一方、オウムの幹部たちは、世間並みの昇進スピードでは満足できず、教団が提供する「大臣」ポストや高価な研究施設が20歳代、30歳代で手に入ることに魅力を感じたのである。

 今日の日本では、ネットやSNSが普及しているが、その功罪もまた冷静に論じなければならない。