EUの歴史を振り返る(3) | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 EUの統合を進める、つまり「深化」について、軍隊の統合は1950年代に試みられたが失敗したままである。近代国民国家は、官僚機構と常備軍の整備が基本であった。前者は、EUの立法、行政、司法の組織が整備されるにつれて、EU官僚が増えている。しかし、統一した軍隊を形成するという後者の挑戦は、まだナショナリズムの枠を超えることができていない。

 その軍隊よりも、さらに困難だと考えられてきたのが、通貨の統合であった。私は、実際のところ、軍隊は統合できても通貨の統合は不可能だと考えていた。それは、単一通貨・単一金融政策を採用しても、加盟各国の経済政策や財政政策が同じではないからである。

 ユーロは、1991年1月1日に決済用の仮想通貨として始まり、2002年1月1日には現金通貨・法定通貨として流通が始まった。同時に、欧州中央銀行(ECB)が、日本の日本銀行やアメリカのFRBのような役割を果たすことになった。ECB の管理の下、同一通貨であるので、為替相場などはなく、その分だけ通貨による調整機能がなくなってしまった。

 たとえば、最近はアメリカの長期金利上昇によって、アルゼンチン、ブラジル、トルコ、インドネシアなど新興国の通貨が軒並み安くなっているが、このような変動相場制の持つ調整機能は、EU域内では存在しない。

 EUの中で、ドイツのような経済大国とギリシアのような弱小国が同じ通貨を使用していることの無理が引き起こす問題が、ユーロ採用以来、継続的に噴出している。キプロス、イタリア、スペインなど経済競争力の弱い国々も、事情はギリシアと同じである。

 ギリシャでは2009年10月に政権交代が起こり、新政権は旧政権が深刻な財政赤字を隠していたことを明らかにした。EU加盟国は、財政赤字をGDP比で5%以内にせねばならないが、その基準以内とされていたのが実際は12.7%に達していたことが判明したのである。

 ギリシャは財政健全化計画を立てたが、国債は暴落し、危機的な財政状況となった。国民は、年金カットなどの政府の緊縮政策に大きな不満を持った。これに対してユーロ圏諸国は、2010年5月には1100億ユーロ、2012年3月には1300億ユーロ、2015年8月には860億ユーロの支援策を講じた。

 昨年6月21~22日にルクセンブルクで開かれた財務相会合で、EUはギリシャに対する金融支援を8月で終了することを決めた。ギリシャの財政再建努力を評価したからである。しかし、債務残高はGDPの約1.8倍(2017年末)となお高水準にある。