舛添要一のヒトラー入門(21):§1.ヒトラーとの出会い②海外留学へ・・⑯ | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 第一次大戦後のフランスの安全保障政策としては、第一にドイツ弱体化政策がある。具体的には、軍縮及び賠償義務を忠実にドイツに履行させることが必要と考えられた。

 第二は、アメリカとイギリスによる保障を確保することである。そして、さらにそれを補完するものとして、東ヨーロッパ同盟網の形成が模索されることになる。

 このような外交努力の前提は、ドイツに対する恐怖心とフランス一国のみでは安全は確保できないという自己認識である。なぜ、ドイツが怖いのか。

 第一に、フランスはドイツに対して物理的に劣っているという認識がある。第二に、時間の経過が自分に不利に働くという認識である。

 既に部分的には説明したが、具体的には、①天然資源に恵まれているかどうか、農業国(フランス)か工業国(ドイツ)か、②人口(フランス4000万人、ドイツ6000万人)、③勤勉さ、組織力などの国民性などについて、フランスはドイツに劣っているということである。

 そして、②の人口については、出生率はドイツのほうがフランスよりも高いので、時間の経過がフランスに不利に働くということになる。

 冒頭に述べたフランス外交の二つの外交課題は、ヨーロッパの現状維持を狙ったものであるが、それぞれに矛盾の種を含んでいる。

 第一のドイツ弱体化については、ドイツに対する締め付けが却ってドイツ人の反感を増大させる危険性がある。

 また、弱体化したドイツに対して、フランスのみが強大化することは、欧州大陸内の勢力均衡を乱すことになる。

 「一方(イギリス)は、ドイツなど怖くなく、静穏なヨーロッパを望み、他方(フランス)は将来が不安で、反フランス的ヨーロッパよりもむしろ不安定なヨーロッパを望む。」(Philadelphia Public L1edger, 1921年2月7日)

 第二の東欧の同盟網形成については、ドイツの領土拡張の狙いはこの地域である。そして、この地域は人種の坩堝である。つまり、この地域へのコミットメントは、フランスを紛争に巻き込み、戦争の危険性を高めると考えるのが普通である。

 安全保障政策の立案に際しては、それに伴うリスクについても十分に認識しておく必要がある。