舛添要一のヒトラー入門(3):§1.ヒトラーとの出会い②駒場時代・・❸ | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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  駒場時代の外国語学習については、フランス語やドイツ語は新たに学ぶ言語であった。英語は高校までに一通り学んでおり、授業に出るのは気が進まなかったが、欠席すると単位がもらえないので、真面目に教室に行った。

 ところが、これが教養を高める意味で、実に役立ったのである。先生がたは、シェイクスピアの専門家であったり、ギリシャ文学の大家であったりと英語だけを教えるのには勿体ないくらいで、当然、採用するテキストも自分の研究に関連する分野が多かった。

 たとえば、ギリシャ語の久保先生は、ハーバード大学で研究されていたので、英語も教えるのは得意である。先生は、ソポクレスの『オイデプス王』などギリシャ悲劇の英語版戯曲を何冊か取り上げた。

 ギリシア悲劇は、政治学の研究には参考になる要素が多々ある。「ペルソナ」はラテン語で「仮面」を意味するが、「権力の個人化」というような概念とも関係がある。

 また、私のクラス担任の英語の先生は、現代アメリカ文学をテキストにしたが、これはアメリカ社会の理解に大いに役立った。

さらに、ロバート・ボルトの戯曲『すべての季節の男—わが命つきるとも』(Robert Bolt, “A man for all seasons”,1960)も英語で読むことにした。これは、『ユートピア』の著者、トマス・モアの生涯を戯曲化した作品である。

  この作品は、1966年には映画化されたが、この映画は、第39回アカデミー賞では8部門にノミネートされ、作品賞、主演男優賞など6分門で受賞した。ボルトも脚色賞を獲得している。

 この戯曲は、大衆民主主義社会においてルールや手続きを無視することが全体主義への道を開くことにつながることを明確に示した作品である。つまり、民主主義とは手続きなのであり、そのことの認識がないと、ヒトラーのような独裁者に対抗できなくなる。ヒトラーは、当時最も民主的と言われたワイマール共和国から、公正な選挙を通じて政権を獲得したのである。

 さて、モアは、1517年にチューダー王朝に召し抱えられ、大法官の地位にまでのぼりつめる。時の王、ヘンリー8世は、宮廷の女官アン・ブーリンに恋をし、王妃キャサリンと離婚し、この女官と結婚しようとした。当時はカトリックが国教であり、離婚は認められておらず、離婚には法王の許可が必要であった。

 ウルジー枢機卿から、法王が許可するようにモアがとりなすように求められるが、モアは拒否した。ローマ教皇と対立するヘンリー8世は、カトリックと絶縁し、イギリス国教会を作るが、モアはこれにも反対し、王の怒りにふれて断頭台の露と消えていく。