優秀な幕臣たちは、なぜ幕末維新に失敗したのか | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 今日のNHK大河ドラマ「西郷どん」のクライマックスは、江戸城の無血開城を決めた西郷隆盛と勝海舟の会談である。薩長に敗れた徳川幕府には優秀な人材がいなかったのであろうか。

 近代日本は、これまで2度の国難を経験している。第一は、ペリーの黒船が開国を迫った幕末であり、第二が、第二次世界大戦での敗戦、そして占領である。

 日本が、列強の植民地にならずに独立を保ち、近代国家へと躍進したことは、大いなる成功と言えよう。それにしても、260年も続いた徳川幕藩体制が、優秀な人材をかかえながら、なぜ一気に瓦解してしまったのか。

 徳川の優秀な人材には、小栗上野介、勝海舟、福沢諭吉、榎本武揚、土方歳三、渋沢栄一などがいたが、彼らの努力をしても、大きな時代の流れを変えることができなかった。とくに、第15代将軍、徳川慶喜の優柔不断さが、幕府の瓦解につながった。

 外圧に対応し、薩長の攻撃に反撃しなければならないときに、トップリーダーが的確な決断を下せない。そして、政府に危機管理の能力がない。また、重臣である小栗と勝が反目する。これらの様々なことが原因で、徳川幕府は終焉を迎えるのである。

 星亮一「幕臣たちの誤算ーー彼らはなぜ維新を実現できなかったか」(青春出版社、2003年)という本があるが、著者は、「幕府は組織機構が硬直化し、人材登用の面でも遅れを取り、有為な人材を抱えながら、いたるところでミスを重ね、トップが弱腰で大胆な決断も乏しかった」と述べている。

 さらには、薩長を支援するイギリスと、徳川側についたフランスとの対立も、国際政治上のバランス・オブ・パワーの視点から興味がある。2世紀半にわたる鎖国から、突如としてパワー・ポリティックスの帝国主義の荒波の中に投げ出されたのであるから、攘夷を叫びたくなるのも無理もない。

 しかし、黒船の危機に直面して、徳川幕府は、海外視察や留学に前途有為な若者を派遣している。そして、海外の事情を見てきた人々が、変化の時代に対応できたのである。小栗、勝、福沢、榎本、渋沢などは、その典型である。

 今日の日本は、ある意味で第三の開国を迫られているが、幕末に活躍して先人のような国際感覚と長期的戦略を備えた人材を養成することが喫緊の課題である。