変形性股関節症について(2) | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 左右の股関節を人工関節に替えてしまった今、あらためて股関節の不調はいつから始まったのかを探ってみます。

 若い頃は、まずは陸上競技短距離、海外留学後は柔道、そして40歳を過ぎてからは馬術と、スポーツで身体を鍛えてきました。それだけに筋肉量も多く、身体には自信がありました。徹夜で仕事をしてもびくともしない頑強さを自慢にしていたくらいです。医者にかかるのは風邪のときくらいでした。

 ところが、25年前に郷里の北九州市に住む母が認知症になり、私は東京から遠距離介護をすることになりました。介護保険もまだ導入されていない時期で、介護についての知識も介護機器についても十分ではなかった時代です。ベッドや車椅子から母親を移動させるときに、抱きかかえる動作はたいへんな力が要るもので、腰を痛めることが多くなりました。

 当時の私は40代半ばで元気でしたが、腰痛に悩むようになり、マッサージや鍼灸などで痛みを緩和していました。ある日、ゴルフをしていたときに、歩きながら一瞬、股関節に痛みを感じましたが、すぐに止みましたので、何らの手当もしませんでした。おそらくこのときが股関節に初めて不調を感じたときだと思います。しかし、その後は同じような痛みを股関節に感じることはなく、介護や仕事で無理をしたときなど、腰痛になり、それはマッサージなどでケアしていました。

 2001年夏、52歳のときに参議院選挙に出馬し、真夏の酷な条件の下で全国遊説をしましたが、このときには股関節に不調を来したりすることはありませんでした。トラブルは眼のほうで、左眼が網膜剥離で失明寸前にまでなり、緊急手術のため選挙戦から一時撤退する羽目になりました。腰痛のほうは持病のようになり、マッサージ、温泉、鍼など効果のありそうなものは、遊説先でも試してみました。

 おそらく股関節も軟骨がすり減るなどの現象が始まっていたのかもしれませんが、痛みも何も感じませんでしたの、医者に相談することもなく何年も放置してしまったのです。