世界を変える その② 空心齋閑話1129 | 宇則齋志林

宇則齋志林

トリの優雅な日常

おはようございます。

アメリカのノースダコタ産業大学で認知心理学を教えている、心理学者のトリです(最近では、認知症の疑いが持たれています)。

 

「世の中を変えたい」「世界を変えたい」と言っている人がいる、というおはなしの続きです。

今回は、その希望を叶えて差し上げようという趣旨である。

そんな壮大な野望を、どうやったらかなえることができるのか、疑問に思われる向きもあろう。

 

心配ご無用、それは簡単なことだ。

当然のことながら、「世の中」や「世界」というものは、外部の環境である。

しかし、外部の環境を認識するのは、常に「私の内部」の意識である。

 

「私」は主観であり、「認識」も内部で起こる。

つまり、「世界」や「世の中」という外部環境は、実際には「私」という内部の問題である。

であれば、自分の意識を変えれば、世界はすぐに変わる。

 

今、ウクライナやパレスチナで戦争が起こっており、心を痛めている人も少なくないだろう。

こういう事態を早々に収束する手段は思いつかない。

しかし、その情報を遮断し、見ざる聞かざる言わざるの「三猿」を決め込むことはできる。

 

すると、あら不思議。

どこも戦争をやっている気がしなくなる。

 

「ふざけるな」と言われそうなことはわかっている。

しかし、そう言うあなたは、どのくらい本気でウクライナの状況を憂慮しているのか。

もし神が降臨して、「ウクライナの戦争を終わらせてやるが、お前は仕事を解雇され、家族離散し、住む場所を失う。明日からホームレスになるがが良いか?」と言ったらどうしますか。

 

また、憂慮すべき事態は、ウクライナだけではない。

日本国内にだって、いじめや争いや病気や資金繰りに困窮している人は存在する。

それらすべてにアジャストした「世界」を作り上げることは不可能である。

 

「戦争のある世界A」から「戦争のない世界B」へ変化させたとしても、その世界Bでは、飢餓や病気が蔓延しているかもしれない。

このように、局部を変化させても、全体として良くなっていない可能性が高い。

であるならば、自分の認識を変化させ、見える世界がすべてバラ色に見えるように訓練する方が手っ取り早い。

「バラ色」は言い過ぎかもしれないが、憂慮や不安、恐怖などを感じないようになれば良い。

 

そして、そういう見方のできる意識状態は、すでに存在している、と言われている。

誰が言っているのかといえば、仏教者たちである(他にもいるかもしれない)。

例えば、『大乗起信論』には、次のように書かれている。

 

「〔鏡がその前に現れたものを何でも映し出すように、この本来清浄なる心には〕世間のあらゆる出来事がそのままに映し出されるが、〔所詮は影像であって真実には〕出ることもなく入ることもなく、失せもせず、壊れもしない。真実にはただ、常住なる一心があるだけである。」(高崎直道訳、岩波文庫、1994年、195頁)

 

世間の出来事は、すべて「影像」に過ぎないという。

影像だから、それは「失せもせず、壊れもしない」のである。

それらの影像をただ見つめている「一心」があるだけ、というのである。

 

この一心が確かにそこにあるという理解に達するならば、自分に見えている世界は変わるだろう。

それは容易ではないかもしれないが、外部環境に働きかけ、資金や政治力を傾注して世界を変えようとするよりはたやすいと思われる。

 

是非その「一心」を養う訓練をしていただきたい。

基本的に一人でできるから、金もかからない。

そうすれば、戦争や飢餓はたちどころに意識から消え去るし、ご自身の亭主や息子が勉強もせず、働かずに昼寝ばかりしていたとしても、快く笑っていられることだろう。

※絶賛瞑想中。