世界を変える 空心齋閑話1122 | 宇則齋志林

宇則齋志林

トリの優雅な日常

おはようございます。

人と自然に優しい環境作りを提案するNPO法人「エコエティカ」代表のトリです(世間の風は冷たく、活動資金が集まりません)。

 

よく「世の中を変えたい」という希望を口にする人がいる。

いじめや争い、飢餓などのない世界を作りたい、というのである。

「その意気やよし」ではあるが、いちゃもんがある。

 

そういう人に限って、トリなどが「昼寝をして暮らしたい」と言うと、「まじめに働け」と言って目をむく。

間違っても、「おれが世界を変えて、おまえは好きなだけ昼寝していられるようにしてやる」とは言わない。

何で?

 

「いじめや争い、飢餓などのない世界」とはすなわち、「昼寝していても大丈夫な世界」ではないのか。

国家間の戦争だけが、争いではない。

企業や個人の競争もまた、争いである。

そういう現代社会で働くということは、すなわち「争い」に参加しているということである。

 

戦争は許容しないが、経済的に相手を追い詰めて、結果的に殺すのは是とするのか。

それは、ジャイアンの暴力は許さないが、スネ夫のようないじめ方はOKだと言うのに等しい。

(余談であるが『ドラえもん』において、例えばボードゲームなどのような、安めのイベントの場合、スネ夫がのび太に「おまえは来るな」と言うと、しずかちゃんは「のび太さんかわいそう」といって、のび太側につく。しかし、離島でのキャンプや旅行などの大きなイベントの場合、しずかちゃんはのけ者にされたのび太を見捨て、スネ夫側についてイベントに参加する。こうして、我々は漫画から人情の機微を学ぶ。)

 

世の中には働き者もいれば、怠け者もいる。

怠け者を救済すると、働き者が損をしたような気になり、文句が出る。

もしくは、誰も働かなくなる可能性もある、と思われている。

 

しかし、文句を言うということは、もうすでに争っていることにならないだろうか。

「争いのない世の中」とは、すなわち「誰も文句を言わない世の中」ではないだろうか。

また、誰もが働かなくなって、困るのは誰だろうか。

 

人を馬鹿みたいにこき使い、利益を上げようという人さえいなくなれば、人間そんなに働かなくても十分生きていけるんじゃないだろうか。

「世の中を変えたい」という若者たちに言いたい。

「まず隗より始めよ」で、君たちが率先して、争わない姿勢を身につけていただきたい。

 

争わない姿勢とは、すなわち世の中の役に立とうとしない姿勢のことである。

つまり、有用な人間を目指すのではなく、無用な人間を目指すべきである。

そうすれば、使えない奴らだらけになり、戦争も経済競争も起こりえなくなるだろう。

 

また、そういう人間は、他者を非難したりギスギスしたりしないから、いじめも起こりえない。

そういう世の中になれば、「世界が変わった」と言いうるだろう。

そこではじめて、心置きなく昼寝ができるというものだ。

 

※「人をだめにする」というビーズクッションだが、「すでにだめな人」をだめにすることはできない。ざまをみろ。