スポーツは体に悪い 空心齋閑話1004 | 宇則齋志林

宇則齋志林

トリの優雅な日常

おはようございます。

若者からお年寄りまで、健康で美しい身体作りをサポートする、健康武道インストラクターのトリです(自分では、毎日微熱があってけだるい状態のまま過ごしています)。

 

10月9日は「スポーツの日」だそうな。

祝日なのはいいことだが、スポーツは体に悪い、ということをご存じだろうか。

 

無論、適度な運動は必要で、カウチポテトで一年暮らすと、確実に成人病街道まっしぐらである。

しかし、かといってアスリート並みに運動すると、免疫力が落ちる。ケガをする。寿命が縮む。

大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手も、WBCから大車輪の活躍だったが、シーズン終盤にきて無理がたたり、ケガで離脱した(余談だが、彼のチーム名「ロスアンゼルス・エンゼルス」は、英語読みだが、「ロス」を除外すると、同じ単語を「アンゼルス」と「エンゼルス」のように、発音を変えるのはなぜなんだろうか?「ロス」はスペイン語の定冠詞で、スペイン語のまま発音すると「ロス・アンヘルス・アンヘルス」になるはずだ)。

 

同じく大リーグで活躍した松井秀喜さんも、膝の状態が悪く、引退後は走ることもできないという。

また、力士の短命なことはつとに有名だ(個人的には、北の富士さんの連続休場が気になる)。

結果を出すために身体を酷使し、無理を重ねるから、どのスポーツでも現役時代を何事もなく過ごせる人は少ないのである。

 

閑話休題。

スポーツの近接分野に、武道がある。

今では、空手、柔道などはスポーツに分類されているが、これらを武道として学ぶことも可能だ。

では、スポーツと武道のどこが違うのかというと、競技寿命である。

 

スポーツ選手は、大体30代半ばで力が落ち、40代50代でやり続けていると、「レジェンド」扱いされる。

その点、武道家のピークは50代~70代といわれ、ジジイが若者を捻り倒すシーンがよく見られる(後期高齢者にならないと一人前と呼ばれない、文楽の大夫にも似ている)。

 

私も合氣道を習っているが、多くの学習者はスポーツの延長のようにとらえていて、武道の妙味に触れるものが少ないようである。

武道の妙味というのは、今書いたような、ジジイが若者を捻り倒す世界である。

この境地に至るためには、身体を鍛えるだけではいけない。

 

また、捻り倒すといっても、力技で捻り倒すのではない。

こういう世界は、とかく「マウント」を取りたい人たちであふれていて、初心者や自分よりも段位の低い者に技を効かせて喜んでいる人が多くいる。

少なくとも、合氣道をやっていてマウントを取りたいうちは、本物ではない。

 

うちの会派では、段位などの認定の際「日常万般に活用しうる」かどうかが評価の分かれ目となり、明文化もされている。

「日常万般」のなかには、無論「酔漢に襲われて撃退する」や「痴漢を捕まえる」「通り魔を取り押さえる」などの事態も入ってはいるが、そういう機会は一生のうち一度でもあったら多い方である。

 

つまり、想定されている「日常万般」は、何事もなく過ぎてゆく日々でのQOLなのであり、誰かを実際に投げ飛ばすことはない。

そうなると、武道で培う対象も、自ずと限定されるはずである。

そして、その限定(ガイドライン)に従って稽古していると、心が柔和になり、その柔和な心の反映として、身体もが柔らかく、健康になる。

 

もし武道をやっていて心の平安が得られないとしたら、稽古の方向性が間違っているんである。

ちなみに私は現在、少し動くと翌日に差し障るため、何の稽古もしていない。

今、最もエフォートを傾注しているアクティビティは、昼寝である。

 

それじゃ、だめじゃん。

※お地蔵さんに会う日が近いかもしれない。