無我について② 空心齋閑話0621 | 宇則齋志林

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トリの優雅な日常

おはようございます。

無我の境地に到達している、行者のトリです(毎日お昼過ぎ頃、定期的に無我の境地になります)。

 

このほど、大乗仏教の三法印、「諸法無我」について書いている(先週の記事をご覧ください)。

「無我」と言い切ってしまうと、「有無の二極を離れた中道」に抵触するのではないか、というのが疑問であった。

 

これについて、龍樹『中論』第18章第6偈には、このようにある。

 

諸仏によって、「自己はある(有我)」とも仮に説かれた。「自己はない(無我)」とも説かれた。「何か自己と呼ばれるものがあるわけでもなく、自己のないものがあるわけでもない(非有我非無我)」。(訳文は、桂紹隆、五島清隆『龍樹『根本中頌』を読む』春秋社、2016年に依った)

 

参考のため、同じ部分の中村元訳を掲げておく。

 

もろもろのブッダは「我(アートマン)が有る」と仮説し、「無我(アナートマン)」であるとも説き、また「アートマンなるものは無く、無我なるものも無い」とも説いた。*中観派には〈定説〉というものが無いのである。(中村元『龍樹』講談社学術文庫、2002年)

 

このように、龍樹はブッダの説法として、三つの教えを並列しているが、こういう言い方を「三句分別」という。

これに「有我でもあり、無我でもある」を加えると、「四句分別」となる。

 

ブッダはの説法は、対機説法と言われる。

虚無主義者には①「アートマンは有る」と言い、実在論者には「無我である」と言い、大乗の教えを理解している人には③「有我もなく、無我もない」(④「有我でもあり、無我でもある」はそのヴァリアント)と教えた、という(安井廣済『中観思想の研究』法蔵館、1961年、183~187頁を参照)。

 

専門用語で「二諦説」といい、①②のような一般人に寄り添った説を「世俗諦」、③(④)のような通常の感覚からは外れた教えを「勝義諦」という。

大乗仏教が「勝義諦」に立脚していることは言うまでもない。

 

しかし、問題は、なぜその後の大乗仏教の展開において、この③④が忘れられ(無視され)、「諸法無我」という、実在論者向けの「世俗諦」が生き残ったのか、ということである。

『平家物語』の冒頭にも、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」とある。

もっとも、これを勝義諦の四句分別で表現すると、「祇園精舎の鐘の声、有常、無常の響きあり、また諸行常でもあり無常でもあり、常でもなく無常でもない響きあり、かつ響きなし、もとい、響きあることなく、響きなきこともなし」になってしまい、意味が分からなくなる。

 

そういう欠点はあるものの、どうしてこの勝義諦を前面に押し出して行かなかったのだろうか。

龍樹は「八宗の祖」といわれるが、こういう龍樹っぽいところは、少なくとも現在の日本仏教(大乗仏教)には残っていない気がする。

また、龍樹が依拠した「般若経」の「即非」などについても、その後うやむやになっている印象であり、正面からまともに取り上げられている気がしない。

そんなことで、龍樹の子孫を名乗っていいものだろうか。

龍樹は適当に祭り上げられているだけなのだろうか。

 

それが目下の疑問である。

だれか教えてくれないだろうか。

※いわゆる「分別」とは無縁の人々。