ストレスフルな高校野球 火曜漫談・増刊号 | 宇則齋志林

宇則齋志林

トリの優雅な日常

おはようございます。

もとパンパシフィックリーグで活躍した、野球解説者のトリです(パンパシフィックリーグというのは、ポリネシアの野球リーグのことです)。

 

猛暑の中、今年も夏の高校野球甲子園大会が始まった。

このくそ暑いのに、みなさんご苦労なことだ。

暑すぎて、何人もの選手が、こむら返りなどを起こしているそうな。

真夏の甲子園のデーゲームは、危険すぎる。

来年から、京セラドームでやればいいのに。

 

さて、のっけから恐縮だが、高校野球が好きではない。

チームからコロナ感染者が出ても、あえて出場停止を勧告せず、「自主的な出場辞退」を待つという、高野連の汚いやり方も気に入らないが、問題はそこではない。

 

主に守備が下手くそすぎて、見ていられないのである。

高校野球ファンの中には、子どもたちが精いっぱい頑張っている姿が良い、という人もおられるだろうが、縁もゆかりもない他人の子どもが、いくら頑張っていても私は面白くない。

ひとつのアートとして野球を見たとき、下手くそなプレーを見ると、ストレスがたまる。

 

投手が一球を投じ、打者がそれを打つと、打球の行方をカメラが追う。

内野ゴロだったとしよう。

その瞬間、野手の動きが自分の中で勝手に構成されて、グラブに収めてから一塁へ投げる一連の動きが、実際の映像よりも早く自分の脳裏に描かれるのである。

 

それを、実際の野手がなぞる形で、映像が流れる。

打球の方向などを見た瞬間、それは起るので、平凡な内野ゴロだと「よっしゃ、アウト」と、心の中でつぶやく。

 

しかし、高校野球の場合、なぜかその野手がボールを取れないとか、投げるタイミングが遅れてセーフになることが多い。

ゴロは逸らすし、フライは落とすし、カメラマン席へ向かってボールを投げ込むし。

もう、既に自分の脳内でアウトが確定しているのに、実際の映像がセーフだと、何かが間違っているような気がしてくる。

 

「何で、あれが取れないの」と、イライラして来る。

高校野球のヒットの半分は、プロならエラーに相当する。

特に応援しているわけでもないのに、そういう場面が度重なると、ストレスがたまる。

それでも、自分や知人の子ども、親せきの子が出場しているのだったら、まあ許せるかもしれないが、出ているのは他人ばかりだ。

よくこんなものを見ていられるね、と思う。

 

猫子さんはそれでも高校野球が好きで、

「あんたはプロ野球を見過ぎて、目が肥えたから良くない」

というのだが、そういうものなんだろうか。

(※因みに猫子さんは、「選手の名前が奇抜過ぎて読めない」とぼやいていたが、鳥取商業に「長谷川平蔵」という選手がいることを発見して興奮し、六日目の仙台育英対鳥取商業はぜひ見なければならん、と息巻いていた。)

 

金をとっているプロと一緒にするな、というお叱りを受けるかもしれない。

しかし、高校野球だって、バリバリ営利目的の大会じゃないのか。

甲子園の入場料もかかるし、高野連は放送権料等でしこたま儲けている営利団体である。

 

それを、非営利のような顔をして、純真な若者たちの熱戦、というようなうたい文句でごまかして、毎年やっているのが高校野球である。

それなら、金を取って営利目的のゲームをしているプロ野球の方が、よほどすっきりしている。

へぼなプレーをした選手は、やじっても良いからだ。

 

あと、気に入らないのは、試合終了後、勝ったチームの校歌を流すことである。

「勝った方の栄誉を称え」というが、勝ったんだから次があるので、実際には負けたチームの「健闘を称え」て、負けた方の校歌を流してさようなら、というのが正しい気がする。

決勝戦では、両校の校歌を流せば良い。

※草野球もしたことがない人。