モノがない | 宇則齋志林

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トリの優雅な日常

おはようございます。

スーパーミニマリストのトリです(断捨離したつもりのない財布の中身が、どんどん少なくなって行くんです)。

 

世の中にはいろいろな人がいて、趣味の小物や人形を部屋中に所狭しと並べて喜んでいる人がいるかと思うと、がらんとした部屋にスマホと歯ブラシがあるだけ、という人もいる。

特に後者を「ミニマリスト」と呼び、こういう生活に憧れている人も多いと聞く。

 

しかし、家にちゃぶ台もなくて、どうやって過ごすのだろうか。

本やゲーム、テレビなどは、基本的にはスマホでこと足りるとしても、夏冬の布団はどうするのかとか、コートは二着持っていなくて良いのかとか、食器も丼とマグカップの他、お皿や箸などはどうするのかとか、不思議がいっぱいだ。

 

また不思議なのは、どうして物の全くない部屋に憧れるのかという点である。

うちのように、どこを見ても書物や書類が散乱している家だと、衝動的にすべて焼き捨てたくなることもあるが、一般家庭において、そこまでモノがあふれて困るということは考えにくい。

 

また、ミニマリストは、家にある物品をどんどん減らして行っているが、銀行預金は増やしたいと思っているはずだ。

というか、むしろ金を増やそうとして、物を捨てている人もいるのではないか。

物を捨てれば金が入ってくるというのは、ひとつの「信仰」で、最近では「断捨離」などがそれを打ち出している。

 

ただ、コンマリさんとか、「断捨離」のやましたひでこさんがそれを言い出したのではなく、もう少し前から、そういう思想があった。

カレン・キングストン『がらくた捨てれば未来がひらける』(田中明子訳、小学館文庫、2005年)あたりが、その走りではなかろうか。

 

キングストンは風水の考え方に則り、がらくた(クラッター)を整理すれば、そこに新しいエネルギーを入れる余地ができるという「スペースクリアリング」を提唱した。

これが、現在の「断捨離」をはじめとする、お片付けブームの原点だと思う。

 

キングストンによれば、家に不要ながらくたがあると、心が濁り、運が悪くなる、という。

部屋がすっきり片付いているのは良いことだと思うが、それと収入の多寡を結び付けるのは、あくまでも仮説にすぎない。

トリの家の非常に見苦しい状況を見た後、どこかの社長宅のすっきりしたお部屋を拝見したら、それは明らかに正しいと思いかねないが、実際にはどちらが先か分からない。

 

トリが急に金持ちになり、その後で部屋を整理する可能性もあるからだ。

また、金持の家は総じて大きいという傾向があり、同じ量のものがあった場合でも、少なく見えるという特徴がある。

つまり、小さな部屋では必要なものしかなくてもごちゃごちゃして見え、大きな部屋では沢山のものがあってもすっきりして見えるだけだ。

骨董屋の店先はごちゃごちゃしており、美術館はすっきりしているように見えるのと同じだろう。

 

結局、狭い部屋をすっきりさせようと思うと、かなり大胆に物を捨てなくてはならなくなる。

それが嵩じてやや行き過ぎたのが、ミニマリストと呼ばれる人たちではないだろうか。

放浪生活をする民族や、アマゾンの原住民の方がまだしも沢山のものを持っている、というほどに切り詰めた生活をしている彼らは、果たして期待した通りお金を増やすことが出来ているのだろうか。

 

しかしいずれにしても、そこまでモノを減らすと、お金を使う場面も減るから(洗濯機の買い替えなど)、相対的に預金額は殖えるのかもしれない。

でも、それではお金を増やす意味があるのだろうか。

 

結局疑問は解消されないまま残り続けている。

※貧乏人の典型。