ある種の不公平感 | 宇則齋志林

宇則齋志林

トリの優雅な日常

おはようございます。

現代社会の問題に鋭く切り込む社会評論家のトリです(一番の問題は、誰も発言に耳を傾けてくれないことです)。

 

朝の連続ドラマ『お茶やん』(仮名)を見ている。

前回に引き続き、今回も面白いと思っているのだが、前よりも視聴率が悪いそうな。

何故か?

 

ネットニュースの引用で恐縮だが、その論者は、イケメン俳優が出演していないから、と分析していた。

前回の『メール』(仮名)では、主役をはじめ、三羽烏のメンバーその他、何人もイケメンが起用され、しかもそれぞれ活躍していた。

ところが、今回のは、「鶴亀家庭劇」座長の天海一平役の俳優しか、イケメンがいないというのだ。

 

その他の俳優陣は、皆さん演技は達者だが、イケメンというくくりではなく、どちらかというと演技派とか、個性派という陣容である。

これに対して、朝のドラマの視聴者は、主婦層が大半で、彼女たちはイケメンが出ないドラマには興味がないというのである。

イケメン不在なら、脚本がいかに良くても、演出がどれほど頑張っても、視聴率は伸びない。

 

個々人のレベルに落とし込めば、また違った反応が出てくるだろうが、こうしてマスとして捉えるなら、「女性たちはイケメンにしか興味がない」という分析結果が信憑性を帯びてくる。

しかし、言いたいのはそこではない。

 

女性たちは、こうも言うからだ。

 

おっさん(もしくは男)が、若い女優さんやアイドルが出てくる場面を鼻の下伸ばしながら見ていて、

「おわー、○○ちゃん、かわえー」

などと口走ろうもんなら、

「ちょっと、やめてよ。気持ち悪いんだけど」

 

おっさんが若いアイドルにうつつを抜かすのは気持ちが悪いくせに、自分が若いイケメンにキュンキュンするのは当然だ、というのだ。

これは不公平じゃないのか。

なぜおっさんはダメで、おばはん(もしくは女性)なら許されるのか?

 

前に森喜朗氏の差別発言を取り上げたときには書けなかったが、女性差別発言をする男は異常に叩かれるが、男を差別する女性の発言は許容される傾向にあるのは何故だろうか?

個人的な感想にすぎないが、男を蔑視する女性はかなり多いと思う。

 

アイドルに鼻下伸ばすおっさんに対して、「気持ち悪い」というのも、ある種の蔑視ではないだろうか。

「女人禁制」が悪評を招くのに対して、「レディースオンリー」は市民権を得ている。

「男性参加OK」が、何か特典のように言われるのも、納得いかない。

※子のたまわく「男女七歳にして席を同じうせず」(『礼記』内則、「七年男女不同席、不共食」)