負の連鎖 その② | 宇則齋志林

宇則齋志林

トリの優雅な日常

おはようございます。

バレンタインデーのチョコレートをもらいすぎて、歯医者の予約が必要なトリです(なお、わたくしの鞄には、まだ若干の余裕があります・・・)。

 

昨日の記事に、kojapanさんという方からコメントをいただいた。

kojapanさんというのは、北陸某県在住の一般男性で、主に雪に埋もれた車を掘りだしたり、乃木坂46のライブ配信を見る、といった多彩な活動をされている方である(トリは「ももクロ」が好きです)。

頂いたコメントは、こういうものだった。

 

【「皆で叩くのは気持ち悪い」という兼近氏の発言はその通りだと思いますし、周りから見てると同様に感じるのですが、「皆で叩」いている当の本人はおそらく気持ち良いのでしょう。そのあたりが厄介な問題だなぁと。
叩くムーブメントが過ぎて冷静になれば「やりすぎた」と反省する人もいるかもしれませんが、それでは遅い。
そしてこういうことを言うと、「じゃあお前は森氏の発言を認めるのか、女性差別していいと思っているのか!」という筋違いな批判が来るのが目に見えているから、面倒になって冷静な人たちは皆口をつむぐ・・・という救われないスパイラル。】(←コメントありがとうございました)

 

一応、記事内容に賛意を表していただいてはいると思うが、もろ手を挙げて賛成、という訳にはいかないという雰囲気が濃厚である。

それについては、自覚がある。

 

何故なら、昨日の記事では「じゃあ、お前は犯罪者を擁護するのか」という批判に答えられていないからだ。

 

犯罪の内容にもよるが、概ね犯罪や犯罪的な行為(今回のような差別発言等)を、正面から擁護することはできない。

また、犯罪一般にまで考察の幅を広げると、収拾がつかなくなるので、そこは法律家に任せよう。

ここでは、「差別」に的を絞って考えてみたい。

 

森氏が批判されたのは、「女性差別」発言をしたからだった。

相手が女性だったからダメというのではなく、そもそも、いかなる差別発言も容認できるものではない。

 

しかし実際には、あらゆるところに、差別が存在する。

今回、森氏の告発を行った人たちの中にも、差別をしている人は必ずいる。

 

何故なら、差別とは区別に他ならないからだ。

「いや、違うでしょ。差別と区別は全然違う」

と、反論されるかもしれないが、「差別は否定的な色彩の強い区別である」という定義には反対できないはずだ。

「競走馬とは、とりわけ足の速い馬のことだ」というのと同じことだからだ。

 

そして、セクハラやモラハラなど「ハラ系」の定義と同じく、差別はされた側の告発で成立する。

自己の処遇について「差別された」もしくは「否定的に区別された」と感じれば、差別されたことになる。

 

こうしてみると、「レポートに悪い点をつけられた」とか「不合格にされた」とか「首を切られた」とか「そもそも貧困である」といったことも、差別に当たるのではなかろうか。


「こいつ、授業参加態度が悪いから、落としちゃれ」といって、採点表に「不可」をつけた教員も、送られてきた履歴書を見もせずに不合格通知を出す採用担当者も、東南アジア等に工場を作って、安い労働力をこき使って製品を作っている企業も、全てが差別の加害者である。

南北格差というのは、北からの南への差別以外の何物でもない。

 

こうしてみると、オリンピックというのは、謂わば「差別の殿堂」であることが分かるだろう。

「参加することに意義がある」などとのたまいながら、メダリストばかり褒め称えるのは差別だ。

さらにまた、非常な大金を使って、近代的なトレーニング設備を持つアスリートと、田舎のグラウンドで走るしかできない貧しい地方の青年との格差問題も是正されていない。

 

格差というのは、「ペルー生まれのペルー人である」といったような意味で、アプリオリにあるものではない。

ある種のやり方でアメリカが富むから、その分のツケがペルーに回ってきているだけである。

 

オリンピックは、スポーツを使って、こうした差別を最大限に助長している。

大体、「頑張った人が成功し、裕福になれる」ことが正しい在り方だということ自体が、狂っているし、おかしい。

頑張らない人や、頑張っても結果が出ない人が、合法的に差別されるからだ。

 

「頑張らない人が置いて行かれるのは当たり前だろうが」

と言われるかもしれないが、そう言う人はその認識こそが差別であることを自覚しているのか。

それは明らかに「頑張らない人差別」だ。

 

百歩譲って、その差別を容認しても良い。

だったら、他人の差別意識にも、多少は寛容であるべきではないのか。

 

ここで森会長の女性差別発言に戻ってくる。

確かに、森氏はそれに類する発言をした。

しかし、多くの人が森氏に対して投げつけた言葉は「お前は差別論者だから、お前が差別されるべきだ」という内容のものだったことに気づいているだろうか。

 

つまり、森氏の発言内容について論じることは許容できるが、それが許せないからと言って、逆に「差別した森を差別せよ」と要請するのでは、本末転倒である。

ここではっきりするのは、「森氏の発言を擁護」するのではなく、「森氏を逆差別から擁護」すべき、という点である。

 

お互いに差別し合っていたら、負の連鎖はどこまでも止まらないと思う。

※ももクロの百田夏菜子さん(写真右)。