人の上に立つ | 宇則齋志林

宇則齋志林

トリの優雅な日常

おはようございます。

幾つかの外資系企業で役員をしているトリです(常々、自分に嘘をつきたくないと思っているのです)。

 

以前、何かのセミナーで、「あなたはどういう風な仕事がしたいですか」というような、大きなお世話な質問をされたことがある。

たいていの人が、それに対して「人の上に立つ仕事がしたい」と答えていたのには、びっくりした。


こいつら、本当に人のお役に立つつもりがあるのか、と訝ったのだ。

大体そんな沢山の奴らに、人の上に立たれたら、下になる方はたまったものではない。

 

とにかく、簡単に言いすぎる。

猫も杓子も指揮官になったら、船頭多くして山に登るどころの騒ぎでは収まらない。

そもそも、人の上に立つ、ということが、そんなに良いことなのだろうか。

 

安倍首相や、トランプ大統領を見ていてもそう思う。

大変そうだな。

何を好き好んで、あんなことをやっているのか、理解に苦しむのだ。

当人たちは、それが生き甲斐でされているのだろうが、「代ってくれ」と言われても断るね。

 

しかし、「人の上に立ちたい」という人が、市井にもあんなに沢山いるのだから、安倍さんやトランプ氏が、一言「代ってちょ」と言えば、無数の候補者が現れるのだろう。

そして、誰がなっても、大して違わないのだろう。

 

以前もどこかで書いたが、本当に人の役に立つ仕事をしている人は、人の上に立っていない。

阪急電鉄の会長社長以下、重役連中が全滅しても、京阪神地域の人は誰も困らないが、車掌さん運転士さん車両整備士さんが全滅したら、とてつもない数の人が大迷惑を蒙り、路頭に迷うだろう。

 

重役の皆さんは、運転士の代わりなんていくらでも居るとお思いなのだろうが、間違いである。

代わりがいくらでも居るのは、重役の方である。

「テキトーな奴に任せたら、会社がつぶれるじゃないか」と言われるかもしれない。

 

しかし、多くの会社が、既につぶれているのだ。

そういう会社は、「テキトーな奴を重役に据えたからつぶれた」というのか?

少なくとも、自分よりましな奴はゴマンと居る、という視点を持ち得ない重役は、早めに引退された方が良いと思う。

※椅子の上に立つ。