スポーツ選手などで、ちょっとした記録を打ち立てた人がインタビューに答えて、感謝を口にすることが多くなった。
いや、昔から「応援ありがとう」の謝意は述べられていたのだが、最近とみに強調されるようになったと思う。
そのようすは何か異様なくらいだ。
言い回しのせいかもしれない。
以前は「あたたかい応援をありがとう」くらいのものだったのが、今は「感謝しかありません」だ。
どうも感謝を強要しているようで、聞く人も心苦しくないのだろうか。
謝辞といえば、とくにアメリカの出版物の謝辞の多さは異常だ。
「あとがき」のほとんど全てを用いて、関わった人すべての名前を列挙し、「君がいなければ本書は完成しなかった」的な心にもない文言を連ねている。
最近読んだ本では、関わった人たちの長大なリストが、カテゴリーごとに二つ三つ掲載されていた。
読者には何の関係もないことだ。
とはいえ、あそこまでやられると、中には「あれ、俺の名前がないじゃないか」とか言い出す人もいるんじゃないかと、妙な心配までしなくてはならなくなる。
「あとがき」では、本文に書ききれなかった逸話や、執筆の裏話などをちょこっと書くにとどめて、謝辞は最小限にするのがいいと思う。
あとがきに名前を列挙しなくても、お世話になった自覚があるなら、礼状か何かを添えて本を贈ればいいことだ。
それにしても、といつものように邪推したくなる。
ビジネスにドライなアメリカ人の事だ。感謝のためのリストを追加したことでページ数が増え、本の印税を高くしようという魂胆があるのかもしれない。
というわけで、今回無事にこの記事を書き終えることができたので、この機会にトリも感謝を伝えておきたい。
本記事を執筆するために多くの人のお世話になった。
イマニエル・カント、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル、アルトゥーア・ショーペンハウアー、ルネ・デカルト、ブレイズ・パスカル、ジャン・ジャック・ルソー、クロード・レヴィ=ストロース、モーリス・メルロ=ポンティ、ジャン・ポール・サルトル、アルベール・カミュ、ジャック・デリダ、V・V・ヴァイツゼッカー、ジャック・ラカン、カール・ポパー、ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ
皆さんのおかげで、多くの人が退屈な本とは何かということを理解できた。
最後に両親、父デイヴィッドと母エレーヌ、いつもトリを飼育してくれている、妻の民子と、娘のツルにも感謝したい。そして、いつもそばに居てくれる元保護ネコの八兵衛、ミニチュアダックスフントの久太郎、ハリネズミのもぐ太にも。それから、無二の親友モーリス・ガン=バルジャンとアンヌ・マリー……