意識混濁と微かな進歩 | 宇則齋志林

宇則齋志林

トリの優雅な日常

薄らぼんやりは自己申告で、実は意識混濁している可能性の排除しきれないトリ。
入院とはこういうものなのか、毎日毎日ぼくらは鉄板の、的ないやんなっちゃうマンネリの日々で、意識混濁もやむなしというところだろう。
テレビは一枚千円のテレビカードの購入をケチって見ないことにしているから、娯楽が少い。月並朝太郎(仮名)の『感覚商売』(仮名)、ノーマス・モン(仮名)の『無の山』(仮名)、ヤスオ・ノドグロ(仮名)の『タワシを離さないで』(仮名)などをぼちぼち読んでいるが、薄らぼんやりもしくは混濁した意識では、なかなか内容が入って来ない。
将棋でもしたら、少しは脳トレになろうかと思い、大枚はたいて中古のゲーム機を買ってみたが、将棋ソフトの出来が悪くて、とてもやりづらい。仕方なく、ゲーム機は甥っ子のラインハルト・フォン・クーラージュくん(仮名)にあげることにして、ケータイに無料アプリを入れた。
無料だから大したこともないだろうと思っていたが、なかなかどうして、コンピュータは強かった。最大のレベル5になると、手も足も出ない。何度やってもまたたく間に負かされる。元々ヘボ将棋だから仕方がないが、気晴らしをしているのか、ストレスをためているのか分からない日々が続いた。
ところが、ある日わりと良い勝負ができるようになり、そしてまたある日、弾みで勝ったのである。
コンピュータは変化しないから、トリの方が少し進歩したのだろう。それにしても、見上げるばかりだった山に登ってしまったような気分である。これは自慢でも何でもない。それだけ退屈な日々を、長期に渡って積み重ねてきた、というだけのお話しである。意識も混濁するはずだ。

※咳をしてもひとり。