神戸市北区歯科医師会主催の講演会がありました


こうした講演会は、患者さんや市民の方々を招いての市民公開講座が多いのですが

今回は、神戸市北区歯科医師会50周年をお祝いする記念行事での講演でした

ですから、来ていらっしゃる方々は、皆さん歯医者さん!


もう私としては感謝に耐えない先生方です

と言うのも、私、

小学校2年生から中学2年生まで7年間歯科矯正をしていたんです


自分の人生において、ストレスと快感でかなり強烈に残っている思い出です


実は私の歯並びはちょっと見ていられない位ガチャガチャだったそうです


上の歯は鬼歯で、さらに歯並びがめちゃくちゃで、その上「不正咬合」

上の歯よりも、下の歯の方が前に出ていました


一方で、私は小学校の時から人前で喋るのが大好きで

何かと言うと、発表会で発表したり、舞台に立ってました


そんな私を見て、母が歯科矯正を決断


毎週土曜日バスで30分、電車で30分往復2時間かけて、小学2年生なのに、1人で神奈川県百合ヶ丘の「つつみ歯科」と言うところに通っていました


50年前の歯科矯正

それは非常に原始的で、まず奥歯の永久歯4本🦷🦷🦷🦷抜きました


これがほんとに痛かった

いまだに忘れられません

なかなか抜けずに無理矢理抜いた感じでした (>_<)


それで脱着式の入れ歯のような矯正具を口の中に入れて、

奥歯のスペースが空いたので、そこに歯を並べ替えると言う…


矯正器具がきつすぎて、歯が痛くなることもありました


そして、なんとその矯正器具、

50年前は食べる時はハズさなきゃいけないんです

歯の代わりに針金が付いているような「入れ歯」のような器具でした


それを給食の時間に口から出すと

友達たちはもう

「笠井、入れ歯!入れ歯!」

「気持ち悪りーー!」

と大騒ぎ


ここでいじめになるのが普通かもしれませんが、私はこの入れ歯は武器になると考えました


その入れ歯(矯正具)をみんなに見せながら、

いろんなことやって笑いをとって

むしろ入れ歯をしている唯一無二の小学生(笑)


あの入れ歯のおかげで、

私は人気者になったりしてました

我ながら、メンタル強い子だったなと


夜は夜でラグビーのヘッドギアのようなものを装着して、無理矢理、下の歯を顎ごと奥に引っ込めると言うことをやってました

朝起きると、ほっぺたのゴム跡がずっとついてるんですよ(笑)

オウム真理教の白いヘッドギアを見たときに「あれやってた!」ってすぐ思いました。外見はそっくりなんです


でも、土曜日ってみんなで野球する日なんですよ

なので、歯医者さんに行くふりをして野球をして帰ってきて、後でめちゃくちゃ怒られたり(笑)

よく7年間続けたと思いましたがそれで歯並びほんとに良くなったんです


これは母親に感謝です


やっぱり歯並びが悪すぎると、テレビアナウンサーには向いていませんので

どんなに喋りが上手くてもハンデとなってたはずなんです


私がアナウンサーをやっていられるのも、あの時の歯科矯正のおかげだと思ってます

そんな話をさせていただきました


ここまで読んだ方、多分思ったと思います。


審美歯科という言葉もない50年前の小学生に歯科矯正やらせるなんて

どんな金持ちなんだいと


それは私も大人になってから強く思いました

なぜなら、父親は地方公務員で

子供の頃、我が家には風呂がなかったからです

小学生になるときに、父親の同僚が来て、風呂場を手作りで作ってくれました。懐かしい思い出です


毎日のように、ネズミが家の中で運動会をしていて(笑)

ネズミ取りでネズミをとって、それを水に沈めて殺して遊んでいました


大人になってから母に聞きました


「歯科矯正のお金ってどうしたの?」

「おじいちゃんに借りたの」


確かに、私の祖父は阿木翁助といって、当時は売れっ子の放送作家で羽振りが良かった人でした

子供の将来を見据えるということは、本当に大変なことです


我が家も3人の息子たちの子育てには苦労のしっぱなしです

それを借金までして

「この子の歯ならびを直そう」


50年前にそれを判断した両親には感謝と尊敬の念しかありません


そして、歯科矯正が成功したことで、私のアナウンサーの道が開けたことも間違いありません


歯医者さん達に感謝の気持ちを込めまして講演会を終えました

神戸北区歯科医師会の皆さん50周年おめでとうございます

そして、ありがとうございました


妻、茅原ますみのブログ