立原道造生誕110年記念 | フラワーライフ☆自分らしく輝く

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心と身体と両方から
癒しを起こし開放する
波動調律セラピストの
真水です。

訪れてくださり
ありがとうございます。

大型といわれた
今年のゴールデンウィークも
気がつけば終わり、

5月も半ばですね。

ゴールデンウィーク
特に遠出もせず
銀座で
立原道造生誕110年を記念して
展示会に行ってきました。

銀座奥野ビル
なんと築90年、
当時をしのばれる
モダン建築の建物です。

立原の日本橋の実家に近く
また、立原の勤務先の
銀座四丁目の
石本建築事務所との
中間点にあたるそうで
多分、立原が目にしていた
建物であろうと
開催された方が
選ばれたとのこと。

このエレベーター
なんと手動式です。
ドアを自分で開けて
さらに内側に黄色いドアがあり
それを開けて、
きちんと閉めてから
動き出します。
とても重厚なドアです。

会場は小じんまりとした
清楚なお部屋でした

壁に彼の詩から作曲された
小林秀雄氏の楽譜、

立原の学友との集合写真
仲間との写真、若き日の写真

ヒアシンスハウスの写真
デッサンなどが飾られていました

その日のメインイベント
立原が小さな別荘として

構想したヒアシンスハウスを
さいたま市別所沼公園に

建てるために中心になった
津村准教授の講演です。

さいたま付属小学校の校歌を
創られた地元の詩人神保幸太郎と
立原は親交があり
そのためかさいたま付属小学校では
立原の詩や立原について
学ぶ機会がある。
津村准教授も地元で子供の頃
立原の話をきいていて
記憶にあった
はからずも東京大学の建築科に
進学し立原の後輩となり
卒論はヒアシンスハウスについて
だった。
そんなこともあり
地元の建築家や文芸家など有志の
呼びかけでヒアシンスハウスが
つくられることに
なったときの中心となったそうです。

 

津村氏は、立原が構想して
作られなかったものだから
それはそういう完成されずに
あるものだから最初は
作らずにいる方がよいのでは
と思っていたとのこと、

そして完成するまでの
立原のデッサンから
作りあげる試行錯誤や
実際に作っていき
立原は実質社会で
1年余りしか実際に
社会の中で建物を

制作していないが
それでこれだけの
物を考えられるのは
やはり建築家として
才能があったと
思うとのことでした。

それは光を考えた
窓のつくりや
ドアをあけたときの
プライベート空間と
仲間との共有空間の

区別が5坪の中で

視覚的に見事に
区切られるように
考えられていることや
建物が

自然との共生で
その地にあるということなど
からだそうです。

立原は、あくまでも
公共の流行りの
大型建物ではなく
個人のための
建物をつくっていきたかった
ようです。

立原の詩は
透明で繊細なのですが
建築も同様だと

話を聞いていて
感じました。


そして余談になりますが、
そこが
三浦春馬さんと
共通しているのだと
再認識しました。
知人も言っていましたが
立原の詩を
春馬さんに朗読してもらいたかった。
きっと
立原の透明で繊細な世界を
声で表現してくれたと思います。

才能があり美しいものは
何故、夭逝してしまうのか。
明るく優しい世界観に触れながら
ふとそう思いました。

こちらに立原とヒアシンスハウスについて
詳細に書かれている記事がありましたので
紹介します。
https://casabrutus.com/categories/architecture/350229