北野収先生は、

農業ジャーナリスト浅川芳裕さんと共に、松尾雅彦さんの
本「スマート・テロワール・農村消滅論からの大転換 」(学芸出版社)

を出版されるに当り、大きな貢献をされた方です。

「スマート・テロワール」の思想的なサポートをされました。

コーネル大学Ph D.

元農林水産省官僚、国際開発論・農村整備・地域活性化専門の農学者、

現在は獨協大学外国語学部交流文化学科教授


スマート・テロワール協会顧問、NPO法人信州まちづくり研究会顧問
 

下段に、北野収教授の詳細のURLを添付してます。

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本紹介

『私の中の少年を探しに ある「農学者」が回想する昭和平成』

発行 デザインエッグ株式会社、発売日 2024年1月15日

定価 2772円+税(現在、予約受付中

https://x.gd/nkTGK

 

 

編者評

私は、事前にいくつか原稿を読ませて頂きましたが、

お高い本ですが、絶対お勧めです。

私見ではありますが、正しいです。人と自然への慈しみがあります。

もしかしたら、他にもいらっしゃるかも知れませんが、

大学の先生でこれだけ海外体験を踏まえ国際的視野と価値観を持って

農業を研究し、コミュニティ・民主主義論にまで高めていらっしゃる

先生を他に知りません。

 

私は、地方創生なくして日本再生はありえないと考えています。

そのためには、確かな知性と郷土愛が必要です。

この本にはそれがあります。

なので、この本を日本中の図書館において頂きたいのです。

皆さん、故郷の図書館にリクエストしてください。

 

事前に頂いたエッセイの中から先生の真髄と思われる言葉を

見つけました。ご紹介します。

『農学者とは何者か。
それは、自然環境、農業生産という次元だけでなく、
社会的、政治経済的、思想信条的にも「エコロジーの視点」をもち、
人と自然との関係性を忘れない者である。

 

チラシより

『私の中の少年を探して』

ある「農学者」が回想する昭和平成 

 

誰でも、男女を問わず、何歳になっても、自分の中に少年少女のような

感性を持ち続けています。少年とは昔の自分のことでありつつも、現在の

私たちの中にある「少年」のことでもあります。職業人としての終盤を迎え、

過去から現在に至る様々な時空の中にいる「少年」を掘り起こして、

詩を書くように文章を綴りたい、そういう衝動にかられました。

「今は喪失したけれども、かつて「あそこ」に確実にあった何か」

「父親、家族・親戚、交友関係と 30~40 年後の人間形成とのつながり」

「多(他)文化、自然・生命への慈しみ」の3つのモチーフを手がかりとして、

「少年探しの旅」の随筆集として編み上げました。※僭越ながら、

地元の公立図書館等へのリクエストを賜ることが出来れば幸いです。

 

<裏表紙の文章から>
平凡な人間の平凡な日々の中にも、少し角度を変えてみる
と、映画や小説の一場面のようにキラリと輝く一瞬がありま
す。それが誰の人生であっても、人生は詩であり物語なのだ、
口に出してはいわないけれども、心の隅でそう思っていま
す。だとすれば、元官僚の大学教師で自称「国際農学者」と
いう、皆さまとは無縁な存在である私の「少年」探しの旅と
の共体験が、皆さまにとって、せわしない日々の生活の一服
の清涼剤になるかもしれないと考えました。

 

以上です。宜しくお願い申し上げます。

 

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