辞めるまで10年以上外国語会衆にいました。
かなり熱心にやっていて、いつもほぼ途切れることなく進歩的でおまけに美人だったり可愛い研究生がいてよく集会に連れて来たり、バプテスマまで導いてしまったりしていたので他の開拓者からの妬みのようなものを感じることもありました。
ただ私が好かれていなかっただけかもしれませんが。
独身でしたので、再訪問研究を相手の都合に合わせる為、
仕事の後の夜に遅くまで活動したり、ガソリン代もたくさんかかりましたし
もう30代のエネルギーと情熱を全て注ぎ込んでしまっていました。
そこで観察した事、良くも悪くも感じて人間的成長の糧となった事はたくさんあります。
どちらかというと仲間のJWより再訪問先や聖書研究生の方で人間的に合う方と過ごしている方が好きでした。
もちろん時々は気の合う姉妹の友達もいました。(人の出入りが多かった)
外国語での奉仕や会衆、ベテル奉仕者たちの事、書こうと思えばいろいろありますが
今回、身バレの危険を犯しても書いてみたいのは
選挙関係、良心の話です。
わたしはJW時代良心が敏感と母親に言われていました。
例えば、2年生の初めから転校した中学校では秋の体育大会の入場行進で
校長先生が立っている朝礼台の前に来たら生徒が次々と敬礼をしていくというものが
ありました。
集会で隣の中学校を卒業した父親が奉仕の僕、母親が開拓者の家の年上の女の子と男の子に聞くと特に考えずにしていたということでしたが
わたしは伝道者にもなっていませんでしたがなんとなく良心的にひっかかり、初の本格的な先生への証言をして行進中、一人だけ敬礼をしないことにしました。
目立って恥ずかしかったですけど。
因みに翌年また先生に話しに行くと、アレは父兄からもヒトラーを思い起こさせて良くないという意見があってなくなった。そういう風に感じるのはあなただけじゃなかったのね。
なくなって良かったですねと言われました。
そんな感じで、母親が聴いて欲しくないという種類の音楽等は
聴いていましたがそういった種類の事には自発的で敏感な方だったようです。
そんなわたしがあまりにも驚いたことがあったので書いておこうと思います。
長くなったので続きはまた。