作家・篠山半太の雑用紙(著述業・法学・政治学・語学・時事・映画評論・教養)

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作家・篠山半太が著述業・法学・政治学・語学・時事・映画評論・教養などについて雑感を書き留めるブログ。

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 2012年のガールズ&パンツァー(ガルパン)初放送時、
 蝶野亜美1尉に抱いた印象は「年増」であった。
 なんとなれば作中描写から、『最低でも29歳以上』は確定だからである。
 公式には『年齢不明』となっているが、幹部自衛官のキャリアパスが
 仮に現実のものと同じなら、残酷なことにそうなってしまう。

 自衛官には、大きな人事の日にちが三つある。
 三月二十三日(補職異動)、七月一日(昇任)、八月一日(補職異動)である。
 「補職異動」は、一般企業における異動と同じようなものと思って構わない。
 もちろん、それ以外の日に異動することもある。
 因みに、事務官連中は四月一日で異動する(おおむね三年サイクルで異動)。

 さて、話を戻そう。『最低でも29歳』という判断に至った根拠を、以下に示したい。


・『1尉』への最短キャリアパスがそうなっている

・本編開始時、新学年(四月~五月)であった


 どういうことかというと、自衛隊の大卒幹部候補生(一般企業の総合職新卒)は、
 よほどの問題を起こさない限りは(防大卒も含んで)1等陸尉まで原則、横並びなのだ。
 従って、逆算も可能である。『2012/04の時点で1等陸尉』という前提条件から、最短コースを以下に呈示したい。

2005/04 大卒後、陸曹長任官(幹部候補生学校入校)
2006/03 3等陸尉昇任(3尉と2尉の間には二年の差があるため、修士号持ちは3尉を飛ばして2尉に昇任する)
2008/07 2等陸尉昇任
2011/07 1等陸尉昇任
2012/04 県立大洗女子学園に教官として招聘される

 どう考えても、これが最短コースだ。2005/04の時点で22歳なら、どう少なく見積もっても七歳は齡を重ねており、29歳という結論に達する。


 しかし、例外が二つある。『飛び級』と『外国大学卒業』である。
 この場合、最低受験年齢が二年早まるので、蝶野1尉の年齢が27歳ないし28歳、という可能性も僅かながら残される。

 そしてそして、仮に二十歳の時点で外国の修士号(日本国内では二十歳で修士号を取ることができない)を持っていた場合、現行の規定では二十歳から『院卒者試験』の受験が可能である。その場合、蝶野1尉の最低年齢は考証上、25歳まで下がることになる。
 『かくあれかし』と思う読者の皆さんも多いと思う。何を隠そう、私もその一人である。あの大ざっぱな脳筋っぷり(褒め言葉)を見ているととてもそんな風には見えないが、ここは一つ、人はみかけによらない、ということで。

 前回の続き。遅れましてすみません。

 なお、『晝』という漢字は『昼』の旧字体です。

 以下、引用開始します。

 太字・下線部は引用者による強調です。

 赤字の註釈もまた、引用者に文責が属します。

 それでは、今ふたたびのタイムスリップへ。

 

警察予備隊二等警察士補 篠山半太

 

 

 

 「気ヲツケ」の姿勢は、アメリカ式に、指をのばさず自然に下にたらす、ヒカガミをのばさなければ怒鳴られたかつての”帝国軍隊”の直立不動とはちがう。「休メ」も、アシを横にひらいて尻のところで、かるく腕をくむ。「回レ右」も、昔の三挙動とはちがい、二挙動。軽く右足をうしろにひき、左足のカカトでくるつと回る。予備隊にはまだ典範令がないから、号令も、あまり統一がとれておらず、幹部によつてちがうこともあるが、そこがまた一つの魅力かも知れないしまた問題を含むところでもある。昔の歩兵操典や作戦要務令を片手に教えている幹部もいた。

 

 ※試験的に導入されたアメリカ式の基本教練については、現在の自衛隊とは全く異なる。「回れ右」は現在、旧軍と同じく三挙動である。旧軍出身者において「体が覚えていた」基本教練については、そう簡単に変わることはなかったのだろう。指を伸ばさずグーで握るという文化だけが、旧軍と違う。あとは基本的に同じ礼式である。

 余談ではあるが、三島由紀夫が作った「盾の会」の礼式は、旧軍式ではなく自衛隊式の「気をつけ」であった。これは写真の資料から確認できる客観的事実である。

 

 

 遠出の行進もくりかえされ、携行食で観音崎あたりまで演習に出かける。駈足(一時間に五マイル走る)に落伍者もほとんど出さなくなつた。突撃の時は、昔の軍隊だつたらワーワーとかん声をあげるが、こゝでは銃を腰にして、連射しながらだまつて進むだけだ。疲れて帰る道でよく「大山元帥」とか「四条畷」とかいつた軍歌がうたわれる。休憩の折に、少年のような、二等警査が「よい平和のうたがほしい」といつていた。この希望は素直に聞いてよい。

 

 ※現在、自衛隊が旧軍の軍歌を公式に演奏することは基本的にない。例外はパレードの「抜刀隊」と、第一空挺団の「空の神兵」である。現在は軍歌を「隊歌」と呼称し、「栄光の旗のもとに」(リンク)をはじめ、それらの歌詞は極めて平和主義的である。「よい平和のうた」は、二等警査の希望通り作られた。攻勢の軍隊ではなく、「平和の使者」であることは我々自衛隊員の健全なる誇りなのだ。

 

 

 訓練の正課に野球が入つている。週に二回ほどある。演習から帰つた時にわたされる手紙は楽しみの一つになつてるが(ママ)、配達される手紙も、こちらから出すのも一切検閲はない

 

 ※この記事が掲載された時点では既に日本国憲法が成立しており、通信の秘密は保証されていた。逆に言うと、旧軍にそんなものはなかったということだ。

 

 

 何といつても最大の魅力は食事だ。その献立表を紹介しよう。

 ×月×日(水)朝―味噌汁(トウフ)、タクアン。昼―煮込み(牛肉、ジャガイモ、玉ネギ、ニンジン)。夕―塩焼(サンマ)、大根オロシ、スマシ汁。

 一日の費用は、主食を含めて八十円見当、三千二、三百カロリーを目標としている。それでも農村出の隊員は「腹がすく」そうだ。献立は一ヶ月単位で立てられ、元海軍の主計兵曹長、栄養士の二人が担当している。果物は一週間に一度出る。

 十トン入りの電気冷蔵庫を二つ備え、五百食(六斗)炊きの蒸気釜二十六コがズラリとならんだ炊事場の窓、入口はすべて金アミがはつてあり、衛生に関しては極めて慎重。

 

 ※都市部と農村出身者で食事の事情が違ったというのは、いかにもGHQ占領時代らしい。

 朝日新聞社が昭和二十六年四月一日に発行した「週刊朝日」に、ルポタージュ「警察予備隊」という記事がある。
 法人により公開されたものであり、著作権は公表より五十年で失効しているので、原文ママで転記する。
 なお、特に興味深い記述には下線・拡大を施しているが、編集責任はブログ管理人に属する。
 また、現在の『陸上自衛隊』の実情と異なる記述については、守秘義務の範囲内で赤字にて註を入れる。
 ちょっとしたタイムスリップを楽しんで頂ければ、当該記事の『発見者』としては望外の喜びである。

 

 ルポタージュ 警察予備隊
  ――彼等は何をし、何を考えているか?――

 

 再軍備論と関連して、警察予備隊が、新しく、時局の脚光を浴びて来た。その後、隊員は、どんな生活をいとなみ、どういう気持ちを抱いているだろう。これは本誌特派員が、三日間の久里浜キャンプの見学から得た報告書である。(編集部)

 

 立哨する警衛――深夜の部隊本部にて(写真省略)

 

 ※神奈川県横須賀市にある、現在の久里浜駐屯地。警察予備隊の創隊時には「駐屯地」という言葉がなかったため、英語の「キャンプ」を使用していた。なお、旧軍では「衛戍地(えいじゅち)」と呼び習わした。

 

 恋人の如くカービン銃を

 

 朝

 

 午前六時、不寝番が無造作に時計の針をみながら「起床」と叫ぶ。隊員居室の両側のデッキ(床)に、分隊ごとにギッシリとならんだ二段ベッドの上下で、ガタピシ音がする。久里浜キャンプの一日が明けるのである。

 

 ※起床時間は現在も変わらず午前六時であるが、号令ではなく起床ラッパを現在では用いる。また、平時は分隊を「班」または「営内班」と呼び習わす。

 

 点呼は簡単に終る中隊もあれば
一、私は、日本国憲法及び法律を忠実に擁護し、命令を遵守いたします。
二、私は、信義を重んじ、誠実を尊び、勇気をもつて職務の遂行にあたります。
三、私は、上司の職務上の命令には忠実に服従いたします。
四、私は、その綱領が、私の職務に優先してそれに従うべきことを要求する団体又は組織に加入いたしません。
 と予備隊宣誓書をよみあげるところもある。

 


 ※宣誓の内容は、現在の自衛隊とは大幅に異なる。現在の『自衛官』の宣誓は次の通り。

 

「私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身をきたえ、技能をみがき、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います」

 


 点呼が済むと、朝食だ。八百人をいれる大食堂が隊内に二ヶ所あるが、全員一度に入りきれず、二交替。各分隊から一名ずつの食事当番が出る。班長室にお膳を捧げて入つた新兵の悲しさは、昔のユメ――二等士補(軍曹級)が、イスがなくて、立つたまゝモソゝゝ食べているという民主的な? 風景……。

 

 ※流石に現在、隊員食堂に空き椅子がないという事態にはまずお眼にかからない。

 

 食事のあとは整頓。一週に一度はビンでこすつて、つや出しをするからデッキは鏡のようだ。別に便所掃除として一日交替で、各小隊から四人ずつ当番がでるが便所は、これまた水洗式。
 八時から訓練開始。その前に各人に手渡されているカービン銃の手入れで忙しい。「カービン」といえば入隊当時、「貴方の恋人を愛する如く、カービンを愛せ」と標語があつたそうである。
「アイ・アム・ソリー、僕の銃もとつてくれ」
 こんなのんびりとした声もきかれる。日常の会話にはこの他随分英語が使われている。たとえばチェインジ(勤務交替)サプライ(補給関係)といつた術語から相手を呼びかけるのに「ユー」だ。

 

 ※現在の陸上自衛隊で、日常会話に英語を使う機会は少ない。ましてや前述のような用例はまずない。ただし現在ではPXと呼ぶ売店を、警察予備隊では逆に「酒保」と旧軍のままで呼んでいた。

 

 ゲートルをまく面倒もなく、革帯のついた編上靴をはいて集合、訓練は、午前中四時間、午後四時間、一般公務員と同じ八時間労働である。
 予備隊ができてから半年――幹部試験や士補試験で新しい幹部が決まつたり、昨年の暮に現土田精部隊長(元警視庁警備交通部予備隊長)が就任し、部隊の編成も終わつたので、訓練はいよゝゝ本格的になつてきている。正味五十分の訓練ごとに十分ずつの休憩がある。徒歩教練から、衛生救急法、暴徒鎮圧、警戒勤務。他に警察法規や、地図訓練、警戒任務などが学課に入つている。

 

 ※現在の自衛隊では「半長靴(はんちょうか)」を主に用いる。ゲートルは復活していない。また、警察予備隊創隊以前の警察用語では、「予備隊」とは現在の機動隊を指した。四月一日の記事にこう記述があったということは、三ヶ月弱に渡って部隊長が存在しなかったことになる。また、『五十分の訓練ごとに十分ずつの休憩』という慣習は現在も同様である。旧軍はどうだったのだろうか……。

 結論から先に述べよう。


 「名探偵コナン」に出てくる群馬県警の山村ミサオ警部は、「片目が義眼である」RUMではない。

 なぜなら理由は単純で、彼のどちらかの目が「義眼であること」はありえないからだ。


 単行本81巻、FILE9からFILE11までの、群馬県のボーリング場の事件の描写から、彼が義眼である可能性は消滅した。


 「入れ替わり」のミスリーディングとして山村ミサオの口調が変わったかのように描かれているが、アイリッシュが化けていた時と同様、普通、人が他人に化けようとするときは、「ばれないように」今までのしゃべり方を模倣するものだ。

 心理的にも、RUMが山村ミサオを演じていた可能性は低い。


 さて、この「仮設トイレ灯油事件」では、山村の片目だけが描かれているシーンが多い。

 しかしそこをよく精査すると、「片方が義眼」ということはありえないと分かってくる。


 以下、著作権法に基づき引用する。(出典:名探偵コナン81巻, FILE10-11)


 時系列は若干前後するが、LILE11の解決編から、「山村の左目」に着目したい。

 因みに目線の先では、江戸川コナンが毛利小五郎を狙っている。




 目線は明らかに、背後のコナンのほうを向いている。

 ここで、彼の左目が義眼であった場合、そしてなかった場合に分けて検証を行いたい。

  左目が義眼であった場合→左目にはそもそも視力がないのであるから、たとえ「動く義眼」を使っていたとしても、背後のコナンに目を配るメリットは全くない。従ってこれはありえない。

  左目が義眼ではなかった場合→コナンの方に注意を払っていた理由は不明だが、右目も義眼ではなかった場合、RUMの候補からは外れる。


 さて、実は山村警部は今回の事件でもう一つ、片目だけを披露している。

 それは、雨が級に降ってきたため、ボウリング場にFILE10で事件関係者を先導するシーンである。




 分かるだろうか。山村警部は、「右目だけを空けて」事件関係者を先導しているのである。

 これが後ろからついていく形であるなら、たとえ義眼である可能性のある右目だけを空けていたとしても、靴音などでなんとかついていくことはできるだろう。

 が、「先導」となると話は別であり、右目の視野が確保されている必要性が出てくる。

 つまり山村警部の右目もまた、義眼ではないという結論に達する。


 従って、「両目ともに義眼ではない」山村警部は、RUMではない。 Q.E.D.

[作品紹介]

 いわゆる『海軍左派三羽烏』体制――1937年(昭和12年)10月20日成立――のころ(米内光政海相・山本五十六海軍次官・井上成美軍務局長)、三人が三国同盟締結に反対している時期から話が始まる。
 言わずと知れた真珠湾攻撃とミッドウェー大敗の責任者、山本五十六氏の伝記もの。
 なお、「連合艦隊司令長官 山本五十六」とは全く別の作品なので、注意が必要である。

[理由]

 この映画は判決の前に、理由を先に申し述べたい。
 冒頭のシーンのあまりの滑稽さに、私は挫折した。
 一応映画館だったので最後まで観たが、戦争映画としてはまだ「ローレライ」のほうが楽しめる。
 論外、の一言である。

 小道具係もADも監督も、監修の半藤一利氏も誰も気づかなかったのだろうか。

 三羽烏体制の当時、海軍省の目の前に「陸軍の部隊」が現れたという史実はある。だが、どこの部隊であったのか、何の目的であったのか、誰が指示したのかは未だに分かっていない。
 それなのに、この映画に登場するその「謎の陸軍部隊」は、帽章に近衛師団のものを使っている。謎でも何でもない。考証が甘すぎる。
 もし近衛師団が三国同盟のために海軍を脅したという史実があるのなら、その証拠を持ってこい! この映画についてはそれしか言えない。
 「日本の一番長い日」や「日輪の遺産」の爪の垢でも煎じて飲めと言いたい。近衛は敗戦の直前期を巡って、自転車で廃墟の中を進むものだ。

[判決]

0点。

YS:(固有名詞)日米共同方面隊指揮所演習。ヤマサクラ。千歳や伊丹や熊本など、方面隊ごとに輪番で実施する。


ワイヤー:(名詞)ピアノ線に同じ。


WAC:(名詞)ワック。「枠」。女性自衛官(旧婦人自衛官)のこと。戦車には乗れない。基本的に後方勤務。枠の少なさから頭がいいので、男より早く昇任する傾向にある。海ではWAVE、ウェイブ、空ではWAF、ワッフと呼ぶ。


我:(名詞・代名詞)われ。自軍のこと。また、「みずから」の意味でも使う。例文、「指を我の方向にぐーっと伸ばせ」。

六四式:(名詞)六四式小銃。64R。教育部隊の基本装備。7・62ミリNATO弾使用。通常弾はBallと呼ぶ。我が国戦後初の、国産小銃。別名、アタレ銃、または単に六四(ろくよん)。部品がしょっちゅう脱落するので、黒いビニールテープで脱落防止措置を取る必要がある。部品数がとにかく多く、分解結合・整備に手間がかかる。照門と照星(特にボサの中を前進するとき)が倒れる。可愛い銃だがもうボロボロで、編者は二回ほど射撃時の動作不良を経験している。なお切替軸部が右にあるのは匍匐前進(第一から第五まであるが、第五はベッタリ。「怒りの匍匐」である)の時に勝手に切替軸部が切り替わらないようにするためである。射撃訓練の際には腕時計を右手に付け替える者が主流だったが、最近はナンセンスとして左手のままで射つことも多い。空自では八九が存在せず、陸のお下がりの六四のみ。なお射撃予習時にはバディが紐で槓桿を引き、反動を再現する。八九式は槓桿が右についたので、手で引くだけで射撃予習ができるようになった。なお、海自では部品の名称が違う部品がある。編者の教育隊には元海上保安官がおり、同期で唯一、六四式の射撃経験があった。


ローカルルール:(名詞)陸上自衛隊で駐屯地ごとや部隊ごとなどに存在する規則。明文ではないことがほとんど。極めて多い。


ロスケ:(固有名詞)ソ連、またはロシアのこと。現在は死語となりつつある。

礼式:(名詞)敬意の示しかた。組織や地域によって微妙に異なるので困る。脱帽時の敬礼は警察消防が十五度、自衛隊が十度。脱帽時の最敬礼はどこも四十五度。消防でも陸自でも主として殉職者に対してするものなので(例外が天皇陛下)、生きている人に決してやってはいけない。旗手敬礼は消防四十五度、陸自九十度。消防の挙手注目の敬礼、陸自・空自の挙手礼は肘と肩の高さが同じようにする。人指し指をひさしに当てるのがポイント。手の平は絶対に見せない(旧共産圏及びイギリス連邦諸国では見せる)。海自のみ、艦内が狭いため「招き猫のような角度」(浅田次郎先生「歩兵の本領」より)でする。部隊敬礼は、消防では「かしら中」、陸自では小隊長以下に対して各個の挙手礼、中隊長以上に対してかしら中。


レコン:(名詞)リコナセンスの略。偵察のこと。リーコン、と呼ぶこともある。


レサシアン:(固有名詞)心肺蘇生法(レサシテイション)用の道具。湖で溺れた少女、「アン」の名に由来するという都市伝説がある。


レンコン:(名詞)回転式拳銃のこと。自衛隊には少なくとも正面装備としてはないはずだが、ひょっとしたら警務は持っているかもしれない。


レンジャー:(名詞)昭和三十四年当時は「レインジャー」と呼んでいた(なんと当時から、ヘリからのラペリングがあった)。敵地潜入、後方撹乱、隠密戦、ゲリラ戦のプロ。とても強く怖い人々。蛇やトカゲを食べるのは基本。第十三普通科連隊(山岳レンジャー)ではヤギとの獣姦までやっていた。掛け声はイエスでもノーでも「レンジャー!」である。夏季レンジャーと冬季レンジャー(冬季戦技教育隊、冬戦教の冬季遊撃課程)、そして13iを筆頭とした山岳レンジャーがある。ただ単に「レンジャー」と言えば夏季レンジャーを指す。


連帯責任:(名詞)自衛隊においては、一人の責任は部隊全員の責任である。指摘事項があって腕立てを命じられた場合、たとえ自身が指摘されていなくても部隊に所属しているだけで対象となる。

ルームクリア:(名詞)(間投詞)市街地戦闘、閉所近接戦闘、CQB、CQMにおける室内掃討のこと。四人組のスタックで行うのが基本。ルームクリア完了時には、指揮を取るスタックの二番手が「ルームクリア!」と宣言する。一番手と二番手は、新選組で言えば「死番」である。

陸軍記念日:(固有名詞)三月十日。秋山好古旅団が参加したことで知られる、奉天会戦の戦勝日。クロパトキンが退却した戦闘である。戦前は祝日であった。また、東京大空襲の日でもある。


陸戦研究:(固有名詞)月刊雑誌。外国の軍事文献などに関する論文が載る。


陸曹候補者き章:(名詞)金色の桜のき章。陸士たる旧少年工科学校生徒(自衛隊生徒=生徒)と旧曹学は常装の両襟に甲を装着、補士と補生は作業服の場合は両襟に、常装の場合は左腕の階級章(下向きの矢印)の上に乙をつける。


陸曹候補生:(名詞)これに指定されないと、曹教(陸教)に行けない。補生だけではなく、任期制からの選抜も可能である。曹候補生は、当然これを目指すことになる。また、高等工科学校からも陸曹は当然に輩出される。


陸曹上級課程:(名詞)2曹から1曹になるときに、必ず通らなければならない道。空は空曹上級課程、海は初任海曹課程のみ。


離隊:(サ変名詞)りたい。予備自衛官が訓練を終え、隊を離れること。


立会:(サ変名詞)りっかい。立ち会うこと。陸自でも空自でも使う。警察でも「立会人(りっかいにん)」などと使う。


略帽:(名詞)ベレー帽のこと。折りたたむときは、制服(常装)の左肩に挟み込む。


リヤカー:(名詞)法律上は軽車両であるが、陸上自衛隊においてあらゆる意味で最強の「車輌」である。


略章:(名詞)常装の二種三種で肩につける、乙階級章のこと。


了:(間投詞)了解、了解しました、の意。「了解か」も「了か」と言うこともある(若干古い)。空自でも使う。


臨時勤務:(名詞)消防などの特殊な輪番制の勤務のこと。また、それを指定したり、それに上番すること。臨勤。消防は主に陸曹の中でも特科がやる。「業務隊糧食班」に島流しにすることを糧食送り、と言う。


臨場:(サ変名詞)式典などで、執行者などが檜舞台に立つこと。対義語は「降壇」。例文、「執行者臨場、部隊気をつけ」。