熊本城を見てきました。
テレビでよく熊本の方々が熊本城が被害を受けている事を非常に悲しんでいる様子や日本財団が震災後すぐに復興援助を申し出たのを見て、大げさだなあと思っていました。災害を受けて避難所や仮設住宅のことがままならないのになぜ熊本城なんだと感じていました。
でもわかりました。
熊本城は熊本市のど真ん中にすごいスケールでありました。


行ってみるともちろん入ることはできませんでした。
ただ外観から見てもその壮大なスケールと美しさに圧倒されました。

 

 

 

 

 
壮大なお城の様子を見ていると胸を締め付けられるような気持ちになり、このお城を大切に思う熊本の方々の気持ちが少しわかりました。
じっと見ていると警備のおじさんが話しかけてこられました。
「全部で56か所も崩壊したんです。修復するのに10年も掛かるそうです。」
と悲しそうに言われていたのが印象的でした。

今回短い期間ですが阿蘇・益城町・熊本市内と「たこ焼きに愛をこめて!」という支援に行ってきました。東日本大震災の復興ボランティアで知り合った仲間がサポートしてくれたので、しっかりした活動ができたと思います。逆にずっと活動している仲間に頭が下がる思いでした。

今回支えてくださった
UNITED EARTHの皆さん
えいた、阿蘇に呼んでくれてアリガトウ。

 

 

熊本支援チーム&め組JAPAN
かごしまん、直前なのに避難所に繋いでくれてありがとう。

 

日本財団・ダイバーシティ研究所
堀之内哲也、杉本さん、益城へと繋いでくれてありがとう。

 
そしてボランティアに大分から参加してくれた大弓くん、プロのたこ焼き腕でサポートしてくれました。


今日の新聞でうれしいニュースがありました。
これからです。
皆さん、応援よろしく!
ひとりひとりが出来る一歩でいいんです。
繋がり、寄り添う事が現地の勇気を与えます。
動きましょう。小さな一歩でいいから!

避難所でのたこ焼きはとても喜んでいただけました。 
東日本大震災の時、石巻・登米のボランティア拠点でお世話になっため組JAPANのかごしまんの紹介で熊本市龍田公民館の軒先でたこ焼きを行鵜事が出来ました。ここには200名以上の方々が避難生活をされていました。平日の昼間なので仕事に出られている方もおられましたが、始まるとすぐに行列が出来ました。

  

 

次の日
日本財団・ダイバーシティ研究所のスタッフとしてこの地区のサポートを行っていた東日本大震災支援仲間の堀之内哲也が、被害のひどい益城島田東無田公民館に来てほしいという要請を受けて入りました。
国道から一筋入ると絶句しました。
このエリアはひどい。

  

 

 

東無田”公民館”と聞いてきましたが、神社の境内に崩れかかった集会所のような小さな建物があるだけで、避難所にはなってなくてこの地区の支援砦のようでした。

 

 

 
雨の中、この集落の各所でテント等で暮らしておられる方々が集まってこられました。

 
「たこ焼き、待ってたんやで!」
「このたこ焼きはダシが効いてるので、半分何もつけずおきます。ソースをつけたものと食べ比べてください!」
「へえー、本場関西のたこ焼きが楽しみ。」
「明石の生きたタコを湯がいて用意してきましたから美味しいですよ!」
「へえ、明石のタコなんや!」
「たこ焼き屋さん、どこでお店やってるの?」
「私はたこ焼き屋じゃないんです。両親が30年間兵庫県の西宮でたこ焼き屋をやっていて、今はもうやってないんですが機材があるのと、私も子どもの時からずっと手伝ってきたのでこうして焼けるんです。」
「西宮なんで阪神大震災の水もガスも復旧しないので、このLPガス用の機材を購入したのがこの機材です。自分の店が再開してないのに周りの避難所をこの機材を持ってたこ焼きを焼きに行った両親に驚いていました。」
「息子も行かなあかん!と思って来ました。」
「そう、阪神大震災も大変やったねえ。来てくれて本当にありがとう!」

 
やっと雨が止んできましたが、行列は途切れませんでした。
ここでは150名もの方々が来てくれました。

今回、たこ焼きの炊き出しに行って多くの方々に喜んでいただけました。
それはたこ焼きそのものの有難味というより、自分たちの置かれている状況を誰かが知ってきてくれている。自分たちのためにこうやって一生懸命焼いてくれている事に対する喜びだと思います。阪神大震災の経験者だという事も心を開いてくださった要素の一つだったと思います。だから、すごく話しかけてくださいました。こちらの事を聞くだけでなく、自分たちの状況・・・もう住めそうにない・仮設住宅には入られない・お父さんは怪我したけどもう大丈夫・・・・を話してくださいました。もちろん言葉も出せないような方々もたくさんおられると思います。
でも、この状況を他の地域の人に知ってほしい。見捨てないでほしい。という思いを感じました。
たこ焼きをやくという事で寄り添う事と行った事で知れた現地の状況を多くの人に伝えることが大切な役割だと改めて確認できました。
まだまだ、支援が入ります。
阿蘇に向かう道の駅に入ったらガラッガラでした。思わず馬の燻製を買うと「全く客が来ない!どうしようもない。」と嘆くお店の人の声を聞きました。
小さくてもいい。何でもいい。動いてほしい。
忘れないであげてください。

熊本にボランティアに行ってきました。避難所でたこ焼きをしてその場で本場の焼き立てを食べてもらい、少しでも元気を出してもらう事が目的です。

私の家はたこ焼き屋さんでした。
今は母も引退していますが、中学・高校・大学・社会人・社長になってからも忙しいときには手伝っていました。阪神大震災の時、店が営業できない状態だったのに周りの避難所にたこ焼きの炊き出しに行った両親に当時は驚きました。東日本大震災の時に石巻市でたこ焼きを焼きに行ったのは、業務用のたこ焼き機材があったのとそんな両親の影響を受けていたからだと思います。
熊本にも明石の天然タコを仕入れて行きました。明石で生きたタコを仕入れて軽くゆで、たこ焼きに入れるサイズに包丁で一個一個切っていきます。結局出発前日夜中の2時になってしまいました。

しかし避難所に行ってすぐに炊き出しができるわけではありません。個々の避難所にはそれぞれの状況があり、人数の多い避難所では量が足りないと問題になります。地域によって避難所に物資がしっかり届いている所や避難所に居なくて壊れた家屋の庭でテントを張って生活している方が多くいる地域もあります。

どこでたこ焼きを振舞えるかというのが簡単ではないのです。
今回沢山の方の導きで、たこ焼きをたくさんの方に食べて頂けた事に感謝です。まず日本財団+ダイバーシティ研究所として支援に入っている益城町という場所でたこ焼きができる事となりました。

では、どこで宿泊するか問い合わせたところ被災地周辺は宿泊する場所が空いてない。遠くから通わないといけないと思っていると阿蘇で特定非営利活動法人ユナイテッド・アース 復興応援プロジェクトメンバーとして活動している友人”えいた”から 
阿蘇なら いくらでも 宿泊施設ありますよ。観光が激減してるので、積極的に 観光支援としての宿泊を、お願いしているところです!!」 「よし阿蘇から通おう!」

 

阿蘇に入ってみるとひどい状態でした。
やたら通行止めだらけです。とても観光どころではありません。我々の旅館も地震後、天然温泉のお湯が少なくなり再び温泉掘削をされていました。

 

 

 

 


”えいた”氏は丁度「阿蘇☆復耕祭~奇跡の1000人の田植え~」の開催準備中でした。そこにポケットレインコートを届けるのも今回の仕事です。 私の友人から被災地にポケットレインコートを寄付したいという人がいるがどこも受け取ってもらえないらしい。どこかないだろうかという相談を受けました。阿蘇の友人に繋いだところ、この1000人の田植えの日が雨予想なので是非ほしいという事で届けました。

 

  

このようにニーズのマッチングが大切なんです。 イベントが無事大成功し、雨の中ポケットレインコートがとても役に立っている様子は新聞やテレビで見せてもらいました。 よかったです。

 

そして地元農家の方とボランティアメンバーとの交流会でまず最初のたこ焼きを食べてもらいました。

 

私がたこ焼きを焼きに被災地に行くという情報発信して、それを見た友人からポケットレインコートについての相談があり、たまたま必要とされるイベントがあった。2日程のやりとりでしたが送りたい人から欲しい人に繋がって届ける事が出来ました。 日本中が何かできる事を少しずつするだけで大きな力になります。まだまだひどい状態で多くの支援が入ります。今大切なのは、寄り添う事です。 興味を持って、できる事はどんなに小さくても、やる事が大切です。 参加してください。