避難所でのたこ焼きはとても喜んでいただけました。 
東日本大震災の時、石巻・登米のボランティア拠点でお世話になっため組JAPANのかごしまんの紹介で熊本市龍田公民館の軒先でたこ焼きを行鵜事が出来ました。ここには200名以上の方々が避難生活をされていました。平日の昼間なので仕事に出られている方もおられましたが、始まるとすぐに行列が出来ました。

  

 

次の日
日本財団・ダイバーシティ研究所のスタッフとしてこの地区のサポートを行っていた東日本大震災支援仲間の堀之内哲也が、被害のひどい益城島田東無田公民館に来てほしいという要請を受けて入りました。
国道から一筋入ると絶句しました。
このエリアはひどい。

  

 

 

東無田”公民館”と聞いてきましたが、神社の境内に崩れかかった集会所のような小さな建物があるだけで、避難所にはなってなくてこの地区の支援砦のようでした。

 

 

 
雨の中、この集落の各所でテント等で暮らしておられる方々が集まってこられました。

 
「たこ焼き、待ってたんやで!」
「このたこ焼きはダシが効いてるので、半分何もつけずおきます。ソースをつけたものと食べ比べてください!」
「へえー、本場関西のたこ焼きが楽しみ。」
「明石の生きたタコを湯がいて用意してきましたから美味しいですよ!」
「へえ、明石のタコなんや!」
「たこ焼き屋さん、どこでお店やってるの?」
「私はたこ焼き屋じゃないんです。両親が30年間兵庫県の西宮でたこ焼き屋をやっていて、今はもうやってないんですが機材があるのと、私も子どもの時からずっと手伝ってきたのでこうして焼けるんです。」
「西宮なんで阪神大震災の水もガスも復旧しないので、このLPガス用の機材を購入したのがこの機材です。自分の店が再開してないのに周りの避難所をこの機材を持ってたこ焼きを焼きに行った両親に驚いていました。」
「息子も行かなあかん!と思って来ました。」
「そう、阪神大震災も大変やったねえ。来てくれて本当にありがとう!」

 
やっと雨が止んできましたが、行列は途切れませんでした。
ここでは150名もの方々が来てくれました。

今回、たこ焼きの炊き出しに行って多くの方々に喜んでいただけました。
それはたこ焼きそのものの有難味というより、自分たちの置かれている状況を誰かが知ってきてくれている。自分たちのためにこうやって一生懸命焼いてくれている事に対する喜びだと思います。阪神大震災の経験者だという事も心を開いてくださった要素の一つだったと思います。だから、すごく話しかけてくださいました。こちらの事を聞くだけでなく、自分たちの状況・・・もう住めそうにない・仮設住宅には入られない・お父さんは怪我したけどもう大丈夫・・・・を話してくださいました。もちろん言葉も出せないような方々もたくさんおられると思います。
でも、この状況を他の地域の人に知ってほしい。見捨てないでほしい。という思いを感じました。
たこ焼きをやくという事で寄り添う事と行った事で知れた現地の状況を多くの人に伝えることが大切な役割だと改めて確認できました。
まだまだ、支援が入ります。
阿蘇に向かう道の駅に入ったらガラッガラでした。思わず馬の燻製を買うと「全く客が来ない!どうしようもない。」と嘆くお店の人の声を聞きました。
小さくてもいい。何でもいい。動いてほしい。
忘れないであげてください。