ぶち太郎救助物語

ぶち太郎?

 

我が家のすぐ横を流れる夙川、桜の名所で春には多くの人が阪神間から多くの人が訪れる所です。
その上流の深場には大きな鯉がいます。
以前は7匹の仲間がいて、大雨のたびに下流に流されてきた鯉を救助してきました。 

 
最初は2013年でした。毎年の大雨はひどくなるばかりでついに最後の1匹となったのが、このぶち太郎でした。夙川公園は毎朝、ウォーキングやラジオ体操で多くの人が集います。

その方々が鯉をいつも見守ってきました。大雨の毎に流されてしまい、いなくなりついに最後の一匹になりました。数日前、ここから少し下流に“ぶち太郎”が泳いでいるのを次男の嫁、香菜ちゃんが見つけました。
「お義父さん、鯉が流されていました。」

鯉を確認のために久しぶりにラジオ体操に行ってみると、「来はった。鯉太郎さん。最後のぶちがいなくなった。流された。助けてやって!」

早速、救助隊編成です。
救助隊員は家内・次男夫婦と三男
なんども行ってきた救助活動なので、準備の手はずも慣れています。

 

 

 

ぶち太郎は結構深いところにいました。
ウェダーをはいていましたが、胸から水が入りそうでした。
この水深では捕まえることはできません。
3人で協力して、浅い方に追い込みます。
水の中では彼らの方が絶対的に早くて機敏です。
簡単に捕まえることはできません。
じっくり追って疲れるまで待ちます。
しかし今回は川の端の狭いところに逃げ込んでくれたので、
旨く捕らえることができました。

 

 
巨鯉+水は非常に重い!

車で上流に運んで、そこから元の住処まで3人で交代しながら運びました。

 


そっと元の住処に送りました。

 


やり切りました!
明日の朝、鯉を見守っている皆さんが喜ぶ様子が目に浮かびます。
ぶち太郎、元気でね。

 

 

 

 

 

 

 


 

今年もウエルネスサプライグループの「保育ランドおあふ」年長さんと学童小学生の夏休みキャンプ「チャレンジキャンプ2018」が行われました。

今年は奈良県生駒市にある生駒山麓公園野外活動センターです。

 

子ども達は4才から小学校3年生までです。

年齢の幅がありますが、小学生は卒園生か学童出来てる子達なんで、おあふっ子はみんな仲良しです。 

 

まずはチーム名とみんなの呼び名です。
私は毎回決まっています。


「ししょう」です。つまりキャンプの師匠というわけです。

 

さあスタートです。

 

 

さあ夕食は定番のカレーです。
カレーはみんな大好き! 
それにカレーなら色んな役割があるからいいんです。

 

 

着火剤なしに薪に火をつけるにはちゃんと準備が入ります。

ナタで木端を作ります。そして火をつける時には松ぼっくりが活躍します。

 

 

腹ごしらえが終わると、お待ちかねキャンプファイヤーです。

生駒の山の神から火を頂きます。神?の手から薪に点火され宴の始まりです。

 
楽しいゲームと共に盛り上がっていきます。

 
各班に分かれて出し物でピークに達しました。

 

盛り上がったキャンプファイヤーもやがて終わりを迎えます。

静かに目を閉じて今日の一日を振り返ります。
そして目を開けてみると、空から星が降りてきてくれました。
今日はみんなありがとう!って言ってくれているようでした。

 

さあ2日目はシーツを片づけて朝ごはんです。
   

2日目のメインプログラムはネイチャービンゴです。

   
 

 

みんな協力し合ってくれました。

おあふらしく自然に小学生のお兄さんお姉さんが引っ張ってくれました。

今回のテーマはチャレンジです。

小さなチャレンジが大きな自信につながります。
ひとり夜中に熱が出て、夜間救急病院に連れて行きましたが、戻ってきてから最後まで参加できてよかったです。病院で診察を待っている間、色んな話をしてくれた中で「キャンプファイヤーがとっても楽しかった!」という言葉がとっても嬉しかったです。

参加してくれた子ども達、ありがとう!

キャンプ場、ありがとう。

先生方、ありがとう。

また行きます。

 

 


 

神戸ルミナリエはご存じのとおり阪神大震災の犠牲者への鎮魂と都市復興の祈りをこめ、毎年12月に行われます。

だからクリスマスまでやっていません。

震災後1回限りの予定で開催されましたが、被災者を勇気づけるため継続されています。ルミナリエは「電飾」を意味するイタリア語の古語で、約20万個の電球で彩った門や回廊、壁の光が街路を覆います。毎年、500万人前後の方が訪れるそうです。
震災が起きた
平成7年(1995)1月17日は会社を設立して1年半、やっと会社として走り出せていた時でした。​仕事を震災によって失ってから、がむしゃらに走ってきました。1月17日に神戸で祈る年もありましたが、年末はいつも走り回っていて、気が付けばすぐ近くなのに一度も行けてませんでした。
今回は神戸元町で同級生と恩師の集まりがあって、帰りに寄る事が出来ました。
初めてです。

すごくきれいでした。

沢山の人でにぎわっていました。


震災のその年限りの予定だったのが多くの人が勇気と希望をもらえたことから継続が望まれました。でも震災の復興のために多額の負債を抱えてきた神戸市は余裕がありません。
だから沢山の寄付で継続されているんです。


会場となっている東遊園地は普通の公園なのになぜ遊園地というのか、なぜ東なのかご存知ですか?この公園は
外国人居留遊園の名称で日本で最初の西洋式運動公園として開園して、開園当時は外国人専用だったそうです。園内のグラウンドで外国人らが野球、ラグビー、サッカー、ボウリングなどのスポーツを行ったことで、日本にそれらのスポーツが広まるきっかけとなったと言われています。だから公園内にボウリング発祥の地の碑​もあります。
今みんなにとっては1.17の鎮魂の公園です。
阪神・淡路大震災『慰霊と復興のモニュメント』があります。

半地下式になっています。

 

 

沢山の人が訪れていました。


そして陸上には『1.17希望の灯り』が灯し続けられています。


 

初めて行ったルミナリエでした。
そういえば一度も行けてなかったなあ!という思いで訪れたんですが、改めて被災された方々にお祈りさせていただきました。

 

ルミナリエへ行けて良かった。
ここへ導いてくれた仲間と恩師の先生、ありがとうございました。