欠史八代ー師木津日子玉手見命 | あき&みっちゃんの好きなことを好きなように好きなだけ

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第三代 安寧天皇ーあんねいてんのうー
     師木津日子玉手見命ーしきつひこたまでみのみことー
     『日本書紀』では、磯城津彦玉手看尊と表記。
父  綏靖天皇 

  河俣毘売ーかわまたびめー
    『日本書紀』では、五十鈴依媛命ーいすずよりひめのみことー

兄弟 なし
   
皇后 『古事記』では、阿久斗比売ーあくとひめー

          (事代主神の御子 鴨王ーかものきみーの娘)

    『日本書紀 本書』では、渟名底仲媛命ーぬなそこなかつひめのみことー

          (磯城県主ーしきのあがたぬしー 波延ーはえーの娘)    
    『日本書紀 一書』では、川津媛ーかわつひめー

          (磯城県主ーしきのあがたぬしー 波延ーはえーの娘)

         又は、糸井姫ーいといひめー
御子 第一皇子 常根津日子伊呂泥命ーとこねつひこいろねのみことー
        『日本書紀』では、息石耳命ーおきそみみのみことーと表記。

    第二皇子 大倭日子鉏友命ーおおやまとひこすきとものみことー

        『日本書紀』では、大日本彦耜友と表記。
        (第四代 懿徳天皇ーいとくてんのうー)

    第三皇子 師木津日子命ーしきつひこのみことー
        『日本書紀』では、磯城津彦命と表記。

 

享年 『古事記』49歳 『日本書紀』57歳
紀元前567年誕生~紀元前511年12月6日没
即位日 紀元前549年7月3日 

『日本書紀』より
宮 片塩の浮穴宮ーかたしおのうきあなのみやー
陵墓 畝傍山西南御陰井上陵ーうねびやまのひつじさるのみほどのいのえのみささぎー

この頃は、まだ大和朝廷としての基盤は脆く、
地元の有力氏族との繋がりが、必要不可欠でした。
なので、葛城の事代主神の姫御子を皇后に迎えています。
事代主神は、葛城氏の氏神。
要するに、葛城氏の一族から嫁取りをして、
繋がりを深くしていったのでしょう。

 

ご神徳は、残念ながら見つかりませんでした。

 

 

ここからは亜紀がお送りします。

師木津日子玉手見命

だけではなく、

欠史八代は

「いた」

「いなかった」

の議論がずっとなされている天皇たち。

さて、どうなんでしょうね。

 

コンタクトを取ってみます。

 

「いた」

「いない」

の議論は正直、

神様のプロフィールに関しては、

あまり関係ないんですね。

人の想いで神は成り立つ部分があるので。

 

「師木津日子玉手見命」

として認識される事がすでにある意味の存在として

「ある」

訳で。

 

ある訳ですが、

やはり、広く知られている訳ではないので、

存在・・・薄っ。

 

神沼河耳命の方がなんだか存在として

生々しい感じがしたね。

エピソードもそれなりにあるしね。

そして、ご神徳のあるなしは、

案外神様の存在として重要だと思う。

 

なんでかと言うと、

ご神徳があるという事は、

それを叶えて欲しいという人の意識が向かうからね。

 

ご神徳が無いという事は、

人の意識が向かいにくい。

なので、語る事も、語り継ぐことも少なくなる。

だから存在として薄くなっていくんだろうなって思う。

 

ご神徳は人だけじゃなく、

神としての存在として必要なかのかもしれんな~。

と思う。

 

とにかく存在として薄いので、

情報はあんまりとれないっす。

ってな事が続くんだろうな。

欠史八代。

 

 

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