翼を羽ばたかせて空を泳ぐ鳥。
彼等には既に空を飛ぶ自由は消えている。
翼を持たず、地で空を眺める事しか出来ぬ私。
その私には空を飛ぶ自由がある。
そうなのです。
手にした瞬間に自由は消えてしまうもの。
完全な自由は私の中でのみ存在を許される。
体が自由で創られている生き物を人は人と呼ぶ。
完全な自由は私の中でのみ存在を許される。
真の答えはあります。
それはその瞬間に出した答え。
それは他人が決めることではなく。自分で出している事。
そして自分といっても過去の自分と今の自分は別もの。それが一秒まえであっても。一般的に答えは不変(普遍)でなければいけな いとされているから、今現在の自分と呼ばれる答えがズレてくる。そこから苦しみは生じてくる。
結局、悟りとは魔法でもなんでもないもの。
生きている限りは平等の苦しみは生じると思う。
それを生じるさせているものが自分だということ。
それはその瞬間に出した答え。
それは他人が決めることではなく。自分で出している事。
そして自分といっても過去の自分と今の自分は別もの。それが一秒まえであっても。一般的に答えは不変(普遍)でなければいけな いとされているから、今現在の自分と呼ばれる答えがズレてくる。そこから苦しみは生じてくる。
結局、悟りとは魔法でもなんでもないもの。
生きている限りは平等の苦しみは生じると思う。
それを生じるさせているものが自分だということ。
先日、我らがアイドル。養老孟司氏が近くに講演で来ておりました。勿論、生養老を見るべく会場へ。
まず、養老氏の声がとても素敵でしびれましたな。そして、予想以上に精気が漲っておりました。あの爺さんまだまだ長生きするでしょう。あれこそ憎まれっ子世に憚る!そんな養老節を聴講できました。
憎まれっ子が往生する理由は良いも悪いも満たされないから。常に何かを求めているからあっさりと引き下がらないのでしょう。業が深いということ。う~ん、スバラシイ。
まず、養老氏の声がとても素敵でしびれましたな。そして、予想以上に精気が漲っておりました。あの爺さんまだまだ長生きするでしょう。あれこそ憎まれっ子世に憚る!そんな養老節を聴講できました。
憎まれっ子が往生する理由は良いも悪いも満たされないから。常に何かを求めているからあっさりと引き下がらないのでしょう。業が深いということ。う~ん、スバラシイ。
明日は明日を創り出す人に任せて
私は今と呼ばれるものの相手をすることに専念すべきだ
それは昨日から依頼を受けた仕事だから
今を偽りなく見つめる。
出来るとは言えない、でもやるしかないんだ。
私は今と呼ばれるものの相手をすることに専念すべきだ
それは昨日から依頼を受けた仕事だから
今を偽りなく見つめる。
出来るとは言えない、でもやるしかないんだ。
時間がない?
詭弁だ。
時間などというものは始めからありませんから。
詭弁だ。
時間などというものは始めからありませんから。
生きる時にマストなアイテムはなにかしらん?
と尋ねられて。
想像力。愛。喜び。もしくは金。地位名誉。
逆転の発想で哀しみとか。
でもさ、どれかが欠けてしまっても生きることの条件が変わってしまう。今の世界ではないということ。世界は一つで出来ているのか、世界は無限でできているのか。二つに一つ?
どちらにしても、順位付けをしたくてしようがない、僕たち私たち。業だよね。それが差別、苦しみの始まりだって分かっているのに。楽しいことは、苦しみの始まりってことでしょうか。
おい、そこの中年!答えたまえ。
と尋ねられて。
想像力。愛。喜び。もしくは金。地位名誉。
逆転の発想で哀しみとか。
でもさ、どれかが欠けてしまっても生きることの条件が変わってしまう。今の世界ではないということ。世界は一つで出来ているのか、世界は無限でできているのか。二つに一つ?
どちらにしても、順位付けをしたくてしようがない、僕たち私たち。業だよね。それが差別、苦しみの始まりだって分かっているのに。楽しいことは、苦しみの始まりってことでしょうか。
おい、そこの中年!答えたまえ。
「完全だからこの世界に在る」ともいえるし、
「不完全だからこの世界にいる」とも思えます。
完全になったら消えてしまう。
不完全だからこそ、負の感情があり葛藤が生じて哀しくなって立ち竦む。
でもそこからしか、歩き始められない。それが居る世界の原則でしょう。
しかし、負のだけの世界はまた完全であり消えてしまうのでしょう。
正と負が顔を覗かせるこの世界だから楽しみがいがある。
完全になるための修行なのか、どうなのかも不確定。
そのために精進するのが意味があるのかどうか。
するも良ししなくても良し。
では自己の記憶とは何の為にあるのか。
悩み苦しみのためか。
それが人間臭くて、人たる所以かしらん。
真実は瞬間でしかありません。
せめて自分だけは偽らない目で受止めてあげたい。
それが苦しみの根源だと分かってはいても。
「不完全だからこの世界にいる」とも思えます。
完全になったら消えてしまう。
不完全だからこそ、負の感情があり葛藤が生じて哀しくなって立ち竦む。
でもそこからしか、歩き始められない。それが居る世界の原則でしょう。
しかし、負のだけの世界はまた完全であり消えてしまうのでしょう。
正と負が顔を覗かせるこの世界だから楽しみがいがある。
完全になるための修行なのか、どうなのかも不確定。
そのために精進するのが意味があるのかどうか。
するも良ししなくても良し。
では自己の記憶とは何の為にあるのか。
悩み苦しみのためか。
それが人間臭くて、人たる所以かしらん。
真実は瞬間でしかありません。
せめて自分だけは偽らない目で受止めてあげたい。
それが苦しみの根源だと分かってはいても。
時の命は短くて
我ら時の屍の上に立つ
否
我ら時の屍を喰らい
この地に立つ
我ら時の屍の上に立つ
否
我ら時の屍を喰らい
この地に立つ
それぞれ人には見たい風景しか目の前に広がらない。
人には望んだ風景しか目に映らない。
それが悲しいことなのか。
わからない。わからない。
人には望んだ風景しか目に映らない。
それが悲しいことなのか。
わからない。わからない。
人として雨を見ること
人として雨を浴びること
それは人の喜び
それは人の哀しみ
雨が与えてくれる優しさに僕は全身で震えていた
人として雨を浴びること
それは人の喜び
それは人の哀しみ
雨が与えてくれる優しさに僕は全身で震えていた