来たるべきシノノワールのために -14ページ目

来たるべきシノノワールのために

己の言葉を研ぎ澄ますことを目指して

最近、伊丹十三が気になる。

彼が残した作品群を自分なりに咀嚼できればと思った。

まず始めに、彼の監督作品2作目の”タンポポ”を見た。

よく消化できていないがすごいセンスだった。エッセイストとしての評価の高い彼らしいものだろうと思う。とはいっても、まだ彼の文章は読んだ事はないが。

とにかく料理がたくさん出てきて食欲を刺激された。この映画は子供の頃にテレビの映画番組で放映していた記憶がある。その時はアクが強い、強烈な匂いがする映画でその匂いに耐えられずに見られなかった。今でこそ最後まで見ることができるが、やはり匂いがした。それを意図して作るのが監督の仕事だ。

映画を見た後にウィキペディアで”伊丹十三”を調べたら、すごい経歴の人だった。本当のところそんなことを知らない方が上手く咀嚼できるのだろう。経歴を見たところで、彼の見た風景が見られる訳ではないのだから余計な幕をつくるだけだ。

ともあれ、映画を見た気持ちで一杯なった。次回の作品が楽しみだ。


窓の外の昨日からの大雨に、どこか小さく心が躍る。

この気持ちは小さいときから感じたものであったと確かに記憶する

この穏やかな幸せと呼びたい感情も


ダメージレスなのに持続力抜群の3Dウエーブ

アニマーレの合言葉はキュール

エレガントでゴージャスなトレンドスタイルを実現

デジタルパーマ+9種類のトリートメント


上の言葉が示す通り、全身を現代文明で覆い尽くして自己防衛を図っている

穏やかな幸せなんてものは突き詰めれば、刹那の快楽であるのだろうか

何かを残したいと願う核は、消費文化に切り刻まれて産廃処理場行きのバスに乗せられるのだろう

そもそも、核と呼びたいものは、スーパーマーケットで見切りで半額になっていたので買って来た惣菜だったかもしれない


どれだけインチキテクノロジーで上っ面を覆ったところで

人間の本質は消せない。それが生き物の本質であるかは今のところ判別が付かないが。

恐怖と狂気。何を指して狂気とい言うのかもイマイチ分かりませんが。

理由はどうあれ人を殺める行為は何かを失わすのではないかと思う。その他にも何種かはそう類があると思うが。そのためにこの世界には神が必要になってくるのでは。


地獄の黙示録 を見てそんなことを思った今日この頃。



2006年7月1日、第壱回シノノワール計画が開催された。


議題「日本人の定義とは」だったが、残念ながら今回はその定義づけには至れなかった。

今回、議論の中で特に重点が置かれたのが、昨今の教育基本法改正問題の核心的部分である、愛国心についてであった。日本人の愛国心とは何なのか。愛国心という表記が必要なのか。表記する事での弊害は何なのか。などの意見が出た。それらの議論を経て、愛国心の全会一致した意見を今回の議長声明として採択した。


第壱回シノノワール計画 議長声明

愛国心という著し方は非常に権力側の圧力を受けるものであり恣意性を感じ得ない。そして眺めていると日本らしくない表現であるように感じる。そもそも国を愛する事は命令されるものではなく自発的な感情で有るべきである。個人の集まりが国であること、そして日本らしさである慈悲心を主張した、シノノワールの愛国心

       ボコクハワタシ(かわいい日本)

以上を今回の議長声明とする。


今回特に勉強になった談話

①アニメ ドラゴンボールは日本的な間合いを有している。基本的に日本人それを楽しめる。

②アニメ キャプテン翼の使用している競技場には小高い丘があり、主人公たちはその斜面をひた     

すらドリブルしているのである。