道(みち) | 良田 寛(ペンネーム) 新老いらくの記

良田 寛(ペンネーム) 新老いらくの記

いつのまにか「老いらくの記」という言葉が似合う、それなりの歳になってしまいました。
精一杯生きてきた事を何かに残したい、足跡を何かの形で残したいと思っています。

 今年5月31日〜6月2日、家内と家内の友人を連れ、尾瀬を歩いてきた。熊本からは飛行機に乗り、東武鉄道に乗り、会津高原尾瀬口駅からはバスで御池(みいけ)へ向かった。バスは田舎道を1時間半ほど走った。乗る人も降りる人もおらず、ほとんどのバス停を通過した。バスはあるバス停で停まった。「木賊入口」と書いてある。そのとたん40年ほど前の記憶がよみがえった。この道はバイクで何度も走った、舐めるように走ったあの道だった。

 独身時代は、仲の良い友人といろんな温泉地をバイクで巡っていた。温泉地は秘湯と呼ばれるところが多く、必然的に山道、田舎道を走ることになる。飲んでる席では、「温泉」と「好きな道」の話題が多かった。
 その友人は「道を舐めるように走る」と表現していた。この表現、私には良く分かる。道路、景色、街、そしてその街の空気、風・・・そういったものを、我々の持つすべての感覚で感じながら走った。
「好きな道」は感覚的であるのだろうが、よくよく考えてみると、いろんな共通する条件がある。街と街を結ぶ生活の匂いがする道路であること。道の古さを感じる道路であること。決して絶景の道ではない。走りやすい観光道路でもない。
 私の場合、40数年ほど前の西伊豆の海岸沿いの道がそうだった。観光で開けた東伊豆と違い、西伊豆は未だ田舎道だった。山に沿って海岸に沿って道は曲がりくねっていた。西伊豆には温泉地が点在しているが、我々はそういった曲がりくねった道を何時間もかけて温泉地へ出かけた。
 もう一つ、何度も走った道がある。会津西街道(国道121号線)。今市と会津若松を結ぶ道。さらに会津西街道から木賊温泉、湯の花温泉へ抜ける道(国道352号線)。最後に通ったのは30年ほど前になる。道は狭く曲がりくねっており、ところどころには集落があった。当時は本当に素朴な田舎道で、我々にとっては理想的な道だった。いったいこの道を何回走ったのだろう。我々はこの道を舐めるように走り、そして目的の温泉地をめざした。

 そんな記憶もすっかり無くなってしまっていた。今この歳になってこの道を再び通るとは思ってもいなかった。道はなんとなく広くきれいになったような気がする。ただバスの窓から見える風景と、ところどころにある集落の街並みは昔のままで、時間が止まっているようだった。