天草の妖怪「油すまし」 | 良田 寛(ペンネーム) 新老いらくの記

良田 寛(ペンネーム) 新老いらくの記

いつのまにか「老いらくの記」という言葉が似合う、それなりの歳になってしまいました。
精一杯生きてきた事を何かに残したい、足跡を何かの形で残したいと思っています。

 熊本・天草には、知る人ぞ知る「油すまし」の墓がある。熊本県民でも、天草島民でも知る人は少ない。私も油すましそのものは、水木しげるの漫画で知っていたが、それが天草の妖怪で、さらに墓があるとはつい最近まで知らなかった。
天草上島の八代海に面する栖本町、その河内地区に油すましの伝承があり、油すましの墓がある。

河内村へ帰る老婆が小さな孫の手を引いて、草積峠にさしかかった時、
「昔しゃな~こがんとこれ~、油すましどんの出よらいたちゅうわい」と言うと
「今もでるぞ〜」と言いながら現れた。

 この伝承は天草の民俗学者 浜田隆一が「天草島民族史」で発表し、それを柳田国男が取り上げ、さらに水木しげるが漫画「ゲゲゲの鬼太郎」の脇役として油すましを取り上げた。今は水木しげるの漫画がイメージとして出てくるが、伝承には姿かっこうについての話は全くない。
 5月24日「油すましの墓」を訪れた。県道34号(松島馬場線)を山側にそれ、河内川を渡った山の斜面にある。古い小さな石仏が3体並んでいる。2体は頭部分がなく、1体は顔部分がない。一時期、他の場所に移設されたとのことだが、今は元の場所に戻されている。誰がこの墓を作ったのか、いつからこの墓があるのかは全く分からない。
 一般論として、頭部分もしくは顔部分が破壊されている石仏は、この世にたくさんある。廃仏毀釈(1868年以降)という歴史がそうさせている。またこの天草特有の事情としては、キリスト教布教のため寺社が破壊され、たくさんの仏像が川に投げ捨てられた(1500年代後半?)。油すましの墓(石仏)はこういった事情を乗り越えて今栖本にあるのではなかろうか。
 一方油すましを違った方面から見ると、その当時の天草の事情が見えてくる。
油すましとは、天草の方言で、油をしぼる、油をしぼる人という意味になる。天草だけではないが、日本の各地には、かつて搾油所(油を絞ってくれる所、人)という職業があった(今もある)。地域によりその直物は変わってくるが、天草では椿やサザンカの実から油を絞っていた。私の義母は92歳だが、若い頃熊本市西側にある金峰山中腹の村に住んでいた。若い頃は、庭先の椿の実を近くの搾油所に持っていき、油にしていたらしい。
 天草ではカタシ油(椿の一種)作りが盛んで、そのような職業の人がたくさんいたと思われる。人気のない暗い山道を歩いていた老婆と孫、カタシ油作りの人影を見て妖怪だと思った。もしくは、誰もいないと思っていた山奥から、「危ないから早く帰れ〜」と聞こえた言葉に驚いた・・・。そんなことが天草の田舎では頻繁に起こっていたのかもしれない。