暴走STOP サルと人間はどちらが悪? | 良田 寛(ペンネーム) 新老いらくの記

良田 寛(ペンネーム) 新老いらくの記

いつのまにか「老いらくの記」という言葉が似合う、それなりの歳になってしまいました。
精一杯生きてきた事を何かに残したい、足跡を何かの形で残したいと思っています。

 バスを待つちょっとした時間、掲示板に貼られたポスターについて家内と議論になった。ポスターの内容は「暴走STOP」。
ポスター上部の象の絵。これは「暴走行為はだめだゾウ」・・・のゾウと象をひっかけた絵でとくには問題ない。同様に「恥ずかしいからおやめさサイ」。「とにかく音がせからシカ」も問題はない。問題なのは下の暴走するサルの絵だ。
このポスターの作者はなぜ暴走している人間をサルに見立てたのか? ことばのひっかけも何もない。
 

 一つの考え方として、これは暴走する人に対し失礼ではないか。暴走を行う人はいろいろな背景があり状況がある。それを十把一絡げにしてサルに見立てている。暴走を行っている人はすべてサル並みに悪だ・・というのは人に対して失礼ではないか。


 また別の考え方。ここでの表現は、サルはすべて乱暴者で悪者という前提条件になりたっている。サルだって悪いサルもいるだろうが、良いサルだっているに違いない。いやおそらく人間以上に悪いサルはいないのではないか。最近のニュースを見てほとんどの方は思い当たるはずだ。暴走行為を行っている人はサル並みだ・・・というのはサルにしてみれば失礼な話。

 

 このポスターを見てサルが「名誉棄損」だと言う事はないだろうが、仮に暴走を行っている方が「名誉棄損」だと訴えればどんな判決がでるのだろう。
家内と私の一致した結論、このポスター、サルではなく人間の絵にした方が良かった。またバイクに乗った絵ではなく、戦車に乗った絵の方がもっと良かった。