うちの子どもさんは中学一年の4月下旬に学校をやめてから、まともな教育を受ける機会を失くして今に至ります。
ただ、学校への行きしぶりは小学五年くらいから始まっているので、その頃から勉強は遅れ始めていましした。
ゆっくり状態が悪くなり、その後ゆっくりと快復してきたのですが、どんな状態の時も時々強烈に湧き上がる「勉強したい」という気持ちがあるようです。
学園ドラマやマンガで見る学校生活。
いくつもの教科が設定された学校教育。
対人恐怖が大きいので、友情や恋愛への憧れはどうかと思うのですが、勉強への憧れはとても強く、勉強不足であることへのコンプレックスは大きいようです。
小学校の頃、毎日出される宿題が辛くて大変だったのは、勉強が嫌だったからではないのです。
学校という環境に疲れて帰ってきて、家の中でまた学校を思い出すことはしたくなかった、学校のことは学校で終わりにしておきたかったのだと、随分大きくなってからやっと教えてくれました。
私も勉強することは大好きで、やり方がわからず成績がよくなかった科目もありましたが、嫌いな科目はありませんでした。
教科書を開けば幅広い知識がそこにあり、質問することができる環境のありがたさは、今でもというか、今でこそなんて恵まれていたのだろうと懐かしく思い出します。
友達関係は決してうまくこなせなかったけど、面白いこと、楽しいこと、凄いことのとっかかりとして、義務教育はよくできていました。
(あれで受験勉強さえなければと思います…)
今の子供さんは、毎日ニュースを聴いたり新聞を読むことに困ったりはしません。お料理の本を読んだり、小説やマンガを読むことにも苦労はしません。
でも、やはり計算が苦手だったり、博物学的な本を読むには歴史や地理の勉強が足りないと痛感するそうです。
いうてもせんないことではありますが、誰が、何か、この子からあの恵まれた教育の機会を奪ったのだろうかと考えます。
不安定な家庭環境、緊張感に満ちた学校生活、疲れさせ、消耗させたものの正体はなんだったんだろう。
代わりに何を与えることができるのだろう。
家庭で子供さんの知識欲を満たすべくがんばりはしますが、どう考えても義務教育ほどのものは用意できません。
それに代わるものを子供さんが手に入れるには、死ぬほどの時間と労力がかかるような気がします。
まともに大学まで出た私でさえ、よくある学生生活がなかったことへの劣等感から逃れるのにかなりの時間が必要でした。子供さんは、学校に行ってさえいないのですから…。
結局親ができることはほんの少しで、後は子ども自身が自力でなんとかしていくのを信じて見守るばかりです。
せつないもんですね。