支援の広がり | 風が吹く日も、雨の日も

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着物と子どもと「おいしいは正義」の日々。街歩きや美術館なんかも好きです。

 子供さんの不登校相談の担当の方がおめでたで、来月をもって退職されることになりました。
 雇用の形態がよくわからないのですが、産休の制度はないとのことでした。
 中学一年の時から関わって戴き、来年の卒業のタイミングでは何かよい刺激を与えたいとおっしゃって戴いていたことを思うと残念でなりません。

 ついこの間の春先に、担当継続かどうかやきもきしていて、継続とのことで安心したばかりだったのに。

 でも、ここ半年程の子供さんの落ち着きぶりを私もその担当者の方も充分に認めているので、後は子供さんがどんどん自分の力を出してくるのかもしれません。
 どんな支援にしろ、永続的なものはないのでした。
 長く通った民間のカウンセリングは、とても助けて戴きはしましたがやはり料金が高く、やろうとしているケアの成果はなかなか出ず、途中で焦れたような、いつまで続くのかと思い始めていた頃に思わぬ経済的な変化であっさりと打ち切りになりました。
 そうなると、別の方法で次のステップを模索せざるを得なくなります。
 今回の担当退職も、次のステップに繋がれば言うことはないのですが、さてどうなることでしょう。

 子供さんは特に生活上大きな変化はなく過ごしていますが、15歳の誕生日直前に、突然「20歳くらいまでに高校卒業認定資格を取りたい」と言い出して私の腰が抜けそうになりました。

 今までも内面の変化を大事に見守って、無理に引き上げたりすることはせず、無理に上がろうとすれば上から制止するくらいに用心深く接していました。
 余程関心があり、出来るかもしれないと思えること以外は何でも拒否してきた子供さんに、すべての教科を平均的に学ぶ高校卒業課程を修めることができると考えたことはありませんでした。
 ただ、やる気と努力があれば不可能ではないとも思っていました。
 現実的には、子供さんが働く段になって、仕事上必要な知識に絞って身につけていくようなイメージを持っていて、それには普通に高校や大学を卒業した人への劣等感などが付きまとうだろうな、辛さを長く抱えるのだろうなと今から心配していました。

 しかし、高認を取る方法はいくらもあり、その挑戦の過程で人とよい交わりをすれば、そのような劣等感が解消されることもあるかもしれません。
 子供さんの目の前に、可能性の光りが見え始めたように思えて、嬉しく思っています。

 私の仕事上で障がいのある方の支援情報に触れる機会があるのですが、最近は不登校やニートの支援の話題も増えてきています。
 そんな中で、通信制高校に通う子供達がニートにならないように予防支援をする団体の方と知り合う機会がありました。
 仕事をしながら、子供さんが必要と訴えてきた時には少しでもヒントや助けを提供できるように、親としての私情を混ぜて準備しています。
 それがよくないことだとは思いません。
 私の人生の中で、すべてのものが上手く関わり動いていけばいいのです。

 子供さんは、早くに救助を求めるサインを出しました。
 その勇気ある行動は、この後の子供さんの人生で存分に報われることでしょう。