父のこと | 風が吹く日も、雨の日も

風が吹く日も、雨の日も

着物と子どもと「おいしいは正義」の日々。街歩きや美術館なんかも好きです。

 お盆からこっち、また母のことでいろいろと苦労させられています。
 そんなこんなで弱っているので、生活の各所でその影響が出て悪循環に陥っている感が満載な日々です。

 ただ、よく出来たものでとても調子が悪いとか落ち込むとかいう時間の後には、必ず少し落ち着いた時間がやってきます。
 推測するに、ずっと気分が悪いと自分がもたないので、何かの感覚や感情に蓋をして、しばらくの間回復に努めるという仕組みが出来ているのだと思います。
 それがいいことか悪いことかは見方によりますが、生存本能としては正しい動きかなと思います。

 人生の中で今最高に母のことで悩まされている訳ですが、ここで気分転換に父のことを書いてみようかと思います。
 私の父はもう12、3年前に50代で亡くなっています。
 父が死んでしまうまでは、長年その行状に悩まされました。
 お世辞にもいい父親ではありませんでした。

 父は7人きょうだいの末っ子で、母親に溺愛されて育ったと聞いています。
 父の父は、早くに亡くなっていたらしくどんな人だったのか詳しいことは聞いた憶えがありません。

 父を育てた私の祖母は、とてもしっかりした気の強い女性でした。
 上の兄弟が次々に独立して実家に仕送りをし、また姉妹は嫁ぎ、私の母は父と祖母が暮らす家に見合いで嫁いできました。
 お姑である祖母と母は家の中の主導権を巡って、壮絶な争いを繰り広げたらしいです。
 (すべて母談)

 父は自分の母と妻の間で複雑な心境だったことでしょう。
 よくある話です。

 先に私の兄が生まれ、それはそれは厳しく育てたそうです。
 飼っていた犬にも厳しく、一匹は辛くて家出したとかいう話もありました。

 私が生まれて、家族でよく旅行に行ったそうです。
 写真が沢山残っていますが、私は幼くて何も憶えていません。
 母が言うには、子供と遊ぶのがとても上手かったそうです。

 私は幼い頃の記憶が極端に少ないと自分で思っているのですが、父に関して憶えている一番古い記憶はこんなものです。
 家の近所で遊んでいた私を父が車で迎えに来て、ファンシーショップ(サンリオ製品など可愛い小物を売っているお店をこう呼んでいました)に連れていって好きなものをみっつ選べと言います。
 私はかなり苦労してみっつを選びました。そのうちのひとつしか憶えていませんが、可愛いピンクのカップ&ソーサーでした。
 よく憶えているのは、自分の困惑した気持ちです。
 当時の我が家では、親が子供に望むものを買い与えるのは年に二回、誕生日とクリスマスと決まっていました。
 それ以外の時はいくら頼んでも買ってもらえませんでした。
 なので、突然何か買ってもらえる状況になっても、嬉しくなるどころか「何で?どういうこと?」と困惑してしまうのです。

 ただ、子供心に父が私を喜ばせようとしていたのは判っていました。
 何故父がそう思ったのかはさっぱり判りません。
 私はとにかくみっつのものを選んで、自分の困惑を隠し、努めて喜ばなければいけないと考えていました。
 思えばその頃から、親の定まらない行動に振り回されていたんだろうなと思います。
 
 父は自営で印刷屋をやっていました。
 私が物心がついた頃から仕事は軌道に乗り、家は経済的に豊かになりましたが父は家庭から徐々に遠ざかるようになります。
 それが私の中学時代まで続きました。
 私が高校生になった頃、家業が傾き始めます。
 その詳しい事情は判りませんが、母は父の母である祖母の死が原因だと推測していました。
 祖母は私が中学三年の時に亡くなっています。
 祖母に溺愛されていた父は祖母にいいところを見せたいと思って仕事に励んで、その死をきっかけに頑張れなくなってしまったと母は決め付けていました。

 私が高校二年の時に、父は最初の蒸発事件を起こします。
 その後に、沢山の借金が見つかりました。

 蒸発はその後に二度あり、最後の蒸発の後に父は死にました。
 死ぬ直前に自分の母が眠る墓にお参りしたことが後から判りました。

 父が死んだ時、私は本当にほっとしました。
 父が生きている限り、自分の人生は常に不安でたまらないものだったからです。
 
 父が死ぬまで、母は父との戦争を一緒に戦う仲間のようなものでしたので、父の死後これ程母に悩まされることになるとは全く予想だにしませんでした。
 確か54歳だったと思います。
 何を考えているのかよく判らず、まともに話をすることはないままに父は逝きました。

 あまり親らしいことをしてもらった記憶は殆どないので、縁の薄い親子だったのだと思います。
 しかし、皮肉なことに私の性格はどちらかと言えば母よりも父親似と言われます。
 体格は母親似で母と同じ一重瞼だった筈なのに、今は痩せて目も父そっくりの二重になってしまいました。(ちなみに整形手術はしてません)

 なんにしろ、淋しいものです。
 後ろ立てのない心許なさがあります。
 父が死んですぐにはほっとするばかりでそんな気持ちはなかったのですが、ここ何年かはよくそう感じます。

 子供さんには親きょうだいや親戚の縁の豊かさを伝えられないことが気になります。
 でも、もうそんな時代でもないのでしょう。

 今でもよく夢で父に会います。
 いつも何も話さないのですが。
 聞きたかったことがあったのにな。
 聞けない、取り戻せない。これが「死ぬ」ということなんですね。
 それはそれで大事な感覚であったりします。