手作り時計のJHA 時計作家 ks の時計ブログ -5ページ目

世の中明るすぎる!?

 皆さん、世の中、明るすぎるとおもいませんか?

 と云っても、社会の雰囲気とか世相のことじゃありません。夜の街のことです。つまり、夜の街に電気が灯りすぎていないか?ということです。

 特に東京等の都市部の、しかも新宿や渋谷のような大きな街は必要以上に明るすぎると思うのですよ。

 かなり久しぶりに上京してきた方の感想で「東京は明るすぎる」という言葉をよく聞きます。当然ですけど相当に大きな電力を消費してますよね。

 よく落語や時代劇で、帰る際にすっかり日が暮れてしまった時、番頭さんなんかが、「これをお持ちください」と云って提灯(ちょうちん)を渡したりすることがある。

 あの時代は、大都会の江戸といえども、夜になると提灯がないと足元が危うかったんでしょうね。
 最近は、特に大震災以降、電気消費効率の良いLEDも開発され、急速にLED化が進んでいるようだけれども、それでバンバン照らしていたら、結局同じ事なんじゃないかな。

 でも田舎へいったら、極端に暗いところもあったりしますよね。部活などを終えて遅くに帰宅する子供さんの通学路としては、危険な感じのするところも少なく無いようです。こんなところは逆に照明が必要なんでしょうけど。

 ですから、夜の街の明るさについて、都や地方自治体あるいは、住民の方々の間でも、もっと話し合ったり、何らかの計画や指針のようなものが必要かもしれませんね。

 飲食店なんかはやっぱり目立ちたいでしょうし、なるべく明るくしたいのも気持ちは分かりますけどね。規制をかけたりするのもどうかと思いますし、暗すぎて身の危険を感じるのもまずいけど、夜は夜らしく、ほんのりと暗いほうが良いと僕は思うのですが。

 これって日本だけの話ではないでしょうけどね。先進国の大都市部は似たり寄ったりなのかも。

大都市では、街が明るすぎてあまり星が見えませんし、月を鑑賞する気持ちも薄れがち。照明の使いすぎは人の情緒や感性までも鈍くする、なんてちょっと強引でしょうか?・・・

 LEDに留まらず、省エネ効果のある家電の開発も今後盛んに行われるんだろうけど、原発や再生可能エネルギーの議論にしても、ほとんど電力使用を前提としている。なぜに電気そのものを使用しない方向や生活、また電力以外のエネルギーの議論は出てこないんだろう。

 再生可能エネルギーもいいけど、それはつまり電力を起こし、それを使用するという点では原発と同じこと。

 僕がざっと思いついたのは、例えばプリンターやファックスのステッピングモーター(ゆっくり動作するモーター)部分、電動アシスト自転車、電動シャッターの開け閉め、マッサージ機、店頭で見かけるポップ、などなど・・・。これはゼンマイ動力で代用することが出来ると思う。僕はプリンターとかは専門家ではないので詳しくはわからないんだけど、勿論出入力には電気的な処理をする必要があるだろうけど、少なくとも動作のことは可能だと思う。

 よく考えればもっとあるんじゃないかなと思う。自動車はさすがに無理かもしれないけど、障害者のかたの車椅子だってゼンマイ動力にすることは可能だと思う。もし脚に不自由があったとしても、手が使えればゼンマイは巻ける。

 きっとエレベーターだって動かせるのでは、と思う。

 そんなの無理だろっ! って思う方も多いだろうけど僕はまんざら不可能だとも思はない。昔は錘を利用したエレベーターもあったくらいですから。

 そういえば、手漕ぎのトロッコだってあったわけでしょ。現物を見たことはないけど、あれって凄い発明ですよね。漕ぐのはさすがに大変だろうけど。公園にいけば手漕ぎや足漕ぎのボートもある。ってことはゼンマイ動力のボートも可能のはず。

 もちろん、おもちゃのボートだったら簡単だ。

 だから、世の中にある動力を必要とするおもちゃは、ほとんどゼンマイにして欲しい。

あるいはゴム動力もOK。教育的な効果もあるとおもう。

 おっと、ちょっと話が長くなっちゃったんで、つづきはまた次回に検証しましょう。