脱進機-2
篠原康治(時の作家)
さて、前回は脱進機について話を始めました。
アンティーク時計の愛好家の方々や、時計好きの方などは、それが何か、もう既にお分かりとは思いますが、初めて脱進機という言葉を聞いた方も少なくないでしょう。
脱進機は英語ではESCAPEMENT(エスケープメント)と呼ばれます。 どうです、なんともいえない魅力的、神秘的な響きだと思いませんか?・・・・・・・私だけかな・・・・・
何はともあれ、類型的な脱進機の図面をご紹介します。(ちょっと画像が荒くてごめんなさい)。
時計の雑誌とかで、こんな絵を見たことがる、という方もいらっしゃるかもしれません。
これが一体どんな役目をしているのか・・・・・? 既に詳しい方はともかく、初心者の方々にこの図面で説明するのはちょっとややこしいので、下記の図で説明します。
下図はきわめて原始的な脱進機です。(といっても、これを脱進機と呼ぶにはちょっと厳しいのですが)まァ、その原理を便宜的に説明するには分かり易いのではないかと思います。
ちょっと変形の歯車はガンギ歯車と呼ばれ、それに接触する部分をパレットと呼びます。パレットとボンボン時計などでおなじみの振り子は、リンクしているわけです。
このガンギ歯車がゼンマイや錘のパワーで、右回りすることになります。
どうですか? もうお分かりいただいたのではないでしょうか。 な~んだ、そんなことか・・・・・なんて思った方もいるのではないかと思います。
きわめて単純なことですよね。歯車(ガンギ)が右回りに廻っているのに、振り子は往復運動をする。これが、私が子供の頃、不思議に感じた、「振り子は往復運動をするのに、なぜ歯車や時計の針が一定方向のみに進むのか・・・・・」という謎の正体だったのです。
このガンギ歯車とパレットが、セットで、いわゆる「脱進機」と呼ばれるものなんです。
実際に使われる脱進機はもうちょっと複雑で、製作するにも精度を要求されますが、原理的には同等のものであると云っていいでしょう。
なぜ、機械式時計には、この脱進機が必要不可欠なのか・・・・・なんとなく直感的に分かった方もいらっしゃるでしょう。ゼンマイのパワーは、何も抵抗が無ければ殆ど一瞬でそのエネルギーが解放されてしまいます。また、錘だって、あっという間に下に引っ張られ、床についてしまいますよね。
つまり、殆ど一瞬で放出してしまうエネルギーを少しづつ少しづつ開放して、長い時間動作させるのに必要なのが、この脱進機なのです。時刻を計る時計としては、最低でも24時間は動き続けなければなりませんからね。
振り子は、「慣性の法則」によって、左右対称に揺れる、つまりこの慣性の法則によって、正確なビートが刻まれる。時計の技術的に云えば、正しく「発信」されているわけです。
ところで、機械式の腕時計には、テンプと呼ばれるものがムーブメントの裏側とかについていて、これが常に動いているでしょう。このテンプは回転しているわけではなく、行ったり来たりしてるんです。つまりこのテンプも往復運動をしているわけです。このテンプと振り子の役目は基本的にはまったく同じです。
ただ、振り子が主に慣性の法則で揺れているのに対し、テンプはヒゲゼンマイの反動でビートが刻まれます。どちらにしても、正しく発信されているわけですね。
どうですか? 話が少々ややこしくなったですか?
いずれにしろ、私は、機械式時計の製作を始めるにあたり、この脱進機の製作が最も大きなポイントであり、難関でもあることは理解出来ました。そして、最も魅力的な作業でもあると感じました。
最初は、当然のことながら、ヨーロッパのウェブサイトを参考にしたり、文献をとりよせて、その図面をお手本に製作を始めました。私の周りには、これを教えてくれる先生や師匠がいませんでしたから。
当たり前ですが、とてもとても苦労しました。今思えば当たり前のようなことを勘違いし、数え切れないほどの失敗も繰り返しました。
さて、ところで、先述の脱進機の説明で、たびたび出てきたのが、時計を動かすパワー、つまり時計を動作させるエネルギーです。
脱進機が時計にとって心臓部のようなものなら、時計を動作させるエネルギーは、云わば生き物にとっての食物のようなもので、当たり前ですけどとても重要というか不可欠のものです。
次回は機械式時計にとってのパワーの話も始めながら、さらに深く機械式時計製作の探求を続けて行きたいと思います。