1971年8月下旬 小嶋和子の脱走未遂(革命左派) |   連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)

■小嶋和子の脱走未遂

 小嶋和子(山岳ベースで死亡)は、早岐やす子、向山茂徳の殺害の運転手役をさせられ、その後精神的に病んでいた。また、坂口などに運転にあれこれ文句をつけられ、ストレスがたまっていた。

 ある日、永田が小島の叫び声を聞き、小屋の外に出てみると、山をかけおりようとした小嶋が、坂口、寺岡、吉野、瀬木に取り押さえられ、殴られていた。


 前沢氏が小嶋さんに、「そんなことをしたらどうなるか、あんたが一番よくわかってんだろう」といい、そのあと私のところへ来て、「(早岐さん、向山氏を)やったんでしょ」といった。私はそれに何とも答えられなかったので、黙っていた。前沢氏はそれ以上は聞こうとはせず黙った。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 永田が話を聞くと、小嶋は、運転や交番調査のことで批判されるのがおもしろくない、殲滅戦をやりたいが、やると思うと怖い、ということであった。


■「男に殴られてうれしかった」


 小嶋さんは続いて、自分が駆け降りようとしたとき、男の同志たちが自分を押さえつけて殴ったが、これはとてもうれしいことだったと語り、「うれしかったよ」といった。

 それは、男の同志たちが自分のことを親身に考えてくれたからということであったが、私は当時このことに少しひっかかった。というのは、小嶋さんが男の同志に対抗する面があると共に、男の同志を避ける傾向もあったからである。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


■「小嶋は男に殴られると喜ぶから、女性が殴らなければだめだ」

 後の山岳ベースで永田は女性に小嶋を殴らせている。なぜ女性に殴らせたかというと、このときの「(男の同志に殴られて)うれしかった」という発言がずっと心にひっかかっていたようなのである。


 以前、小嶋さんがとっさにかけおりようとしたところを取り押さえられたのにたいして、男性の同志に親身にそうされてうれしかったと語っていたことから、このことを(森に)いって、指導として殴るなら、小嶋さんには、女が殴ったほうがよいといった。
(永田洋子・「インパクション18」最終意見陳述)

 加藤兄弟の次男の証言はストレートである。


 このとき、小嶋も坂口や坂東に殴られていた。小嶋が悲鳴を上げると、永田は急いで小嶋のほうに行き、「小嶋は男に殴られると喜ぶから、女性が殴らなければだめだ」と言って、小嶋の周りにいた女性の同志たちに小嶋を殴るように指示した。
(加藤倫教・「連合赤軍少年A」)


 前沢のいうとおり、逃げ出せば処刑されることはわかっていたし、本気で逃げ出そうと思えば、なにもみんなの前から駆け下りなくてもよさそうなもので、引き止められることを前提にした行動ともとれる。事実、永田と話をしているうちに落ち着きを取り戻した小嶋は、本気ではなかったといっている。


 「ねえ、もういいじゃない。そんなにいじめないでよ。かけ降りようとしたのはとっさのことで、本当にそう思ったんじゃなかったんだから」と言って小屋に戻っていった。
 小屋に戻ると、坂口氏や寺岡氏のほかに金子みちよさんたちもいた。このなかに、小嶋さんは首をすくめて笑いながら入り、「もういいじゃない。もう、降りようとしたりなんかしない」といった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)

 後に森恒夫は、「小嶋は常に自分がその中心になろうとする。これは自己中心主義の表れであり、ヒロイズムと同じものだ」と手厳しく批判するのである。