■1971年7月2日 塩見らの初公判開く(朝日)
よど号ハイジャックの直前に逮捕された赤軍派議長・塩見孝也は、よど号ハイジャック事件の共謀共同正犯で起訴された。取調べ中、一時権力に屈したかのようだったが、初公判では毅然とした態度で臨んだ。
塩見逮捕関連は以下の記事を参照。
塩見は逮捕当時、よど号事件の関連で起訴されるとは思っていなかった。
僕はまさかハイジャックに関連してやられるとは思っていなかった。それなりに悠々としていたんです。そうすると半月か1ヶ月たってから逮捕状を持ってきた。「なんや」と思ったら、「よど号のハイジャックの件で逮捕する」ということで、すぐ警視庁で取調べになったのです。そこで死闘をやったが、結局、起訴された。
そのときは消耗しましたね。こんな弾圧、ちょっと予想していなかったから。・・・・・それまでは「8年くらい」だと思っていたんです。・・・・・でも「よど号」だったら「無期」か・・・「死刑」にはならんだろうけど「無期」はあると思った。「出られないな」と思った。
(塩見孝也・ 「赤軍派始末記」)
「職業-赤軍兵士、国籍-無国籍」は赤軍派のみならず、多くの活動家の共感を呼んだ。永田ら革命左派の心にも響いたようである。
私たちはこのニュースを同志のことのように思って聞いた。この初公判に関する大槻節子さんの詩は、この私たちの気持ちを実によく表現している。
我ら・・・・・
職業-赤軍兵士
国籍-無国籍
そう、我々すべての口から人民に対し
誇らしげに語られるだろう
凶悪なる敵に対し、鉄の意志として語られるだろう
我ら赤軍兵士
我ら無国籍
そして今、我ら日本という国土の上に仮宿する
全世界の解放戦士が各々そうであるように
銃火とともにいっそう高らかに共鳴し合う
我ら赤軍兵士
我ら無国籍
- 7・1 塩見氏初公判 -
71.7.17
(永田洋子・「十六の墓標(上)」)
塩見はこの裁判で懲役18年の判決を受け、1989年12月27日に出所するまで、未決勾留期間も含めて19年9ヶ月に及ぶ獄中生活をおくることになった。