■1971年6月24日 白昼、銀行に鉄砲強盗(朝日・夕刊)
実行犯は、坂東国男、植垣康博、進藤隆三郎、山崎順の4名。
この襲撃は、森の指示によるもので、指示されたとき植垣は「またか、なんで俺たちの部隊だけにこんな闘争ばかりをやらせるのか」とうんざりしたようだが、仕事は成功させた。
「バカめ、犯人はここにいるぞ」
といって笑いあった。
(「兵士たちの連合赤軍」)
■1971年6月26日 散弾6発見つかる 真岡の盗難銃とも合う(朝日)
(「兵士たちの連合赤軍」)
赤軍派による銀行強盗が続いていたから、この事件も赤軍派の犯行と思われた。だが、なんと革命左派(記事中では京浜安保共闘)による真岡銃砲店銃撃で奪った散弾が車中から見つかったのだった。
1971年2月17日 真岡銃砲店襲撃事件・その1(革命左派)
実は、横浜銀行襲撃の直前に、革命左派から赤軍派に銃が渡っていた。
革命左派は逃亡生活もままならぬほどお金に困っていた。山岳ベースを設置することにしていたが、備品を買うお金もない。そこで永田は森に「山に行くことの支援として30万円カンパしてほしい」と要請し、森は「銃2丁欲しい」と要請をしたのである。
森は「これは交換ではないな」と言い、永田はうなずいたそうだが、この取引成立により、革命左派は山岳ベースを設置できるようになり、赤軍派は銀行強盗に銃を使うことができるようになった。
このエピソードを連合赤軍結成と結びつけて、「武器はあるが金がない革命左派と、金はあるが武器がない赤軍派が、互いに補うために連合した」という説がある。だが、当時者たちの著書からは、この取引はそれ以上でも以下でもなく、連合赤軍結成とは直接関係なさそうだ。
■1971年6月27日 横浜の銀行強盗 2人はこんな男(朝日)
車を運転した男が山崎順(左)、金を奪った男が進藤隆三郎(右)のモンタージュである。
この2人は、間もなく山岳ベースに入り、総括され、亡くなる運命にある。このとき逮捕されていれば・・・と思わずにいられない。