■PBM作戦
よど号ハイジャック事件以来、鳴りを潜めていた赤軍派だったが、PBM作戦という、とほうもない計画をたてて役割分担までしていた。
・P作戦(ペガサス作戦)要人を人質にして獄中の塩見孝也を奪還する計画。
・B作戦(ブロンコ作戦)アメリカと日本の政治の中枢を占拠する同時多発テロ計画。
・M作戦(マフィア作戦)金融機関強盗によって革命資金を調達する計画。
P作戦やB作戦は計画倒れに終わったが、M作戦だけは実行に移される。
当時、森恒夫率いる赤軍派の基本路線は、以下のようなものであった。
「中央軍による不断のゲリラとテロ、さらに急進派との統一戦線による武装蜂起を要求する。また国外ではPFLPなどとの連携によって国際根拠地を設定し、武装訓練、武器の調達を行って、日本革命を世界革命へと発展させねばならない。」
これは塩見孝也の理論をそのまま踏襲したものである。ただし、森はそれに1つだけ継ぎ足しを行った。
「日本での武装闘争は、当面、武器の奪取と諸徴発活動が必要である。」
「徴発」とは、「人が所有する物を強制的に取り立てる行為」の意味で、すなわち、万引き、空き巣、路上強盗、銀行強盗などを作戦行動としたのである。このような反人民的行為に気が進まないメンバーは多かったが、もはや森の独裁に反対できるものは残っていなかった。
■1971年2月23日 郵便局に白昼強盗(千葉県市原市・辰巳台郵便局)(毎日)
この事件がM作戦第一号。
坂東国男の「永田洋子さんへの手紙」によると、それほど勇ましいきっかけではなかったようである。
実際に作戦に行った部隊は、攻撃する機会をもちえなかったのですが、成果なくして帰れないというので、スーパーのまえに置いてあるパンの箱や卵の箱をもちかえることがありました。それで、次に、郵便局など、金融機関の攻撃を考えたのです。
2月17日に、革命左派の銃奪取闘争が貫徹され、赤軍派もこれに負けていられないということで、2月22日に最初の金融機関への強制奪取闘争を行いました。
(「永田洋子さんへの手紙」)
■1971年3月5日 船橋でまた郵便局強盗 千葉で3件目(千葉県船橋市・夏見郵便局)(毎日)
■1971年3月14日 資金集めのつじ強盗(朝日)
(クリックすると読めます)
ここまでくると強盗集団としか思えないが、森は日ごろの活動が真剣でない者や、逃亡したことのある者へ罰則的命令を下したり、理論派メンバーについては度胸だめしでやらせたりしたようだ。上意下達で横の連携はなく、成功や失敗の経験が他のメンバーに生かされることはなかった。
■1971年3月10日 また午後3時の強盗(神奈川県相模原市・横浜銀行出張所)(毎日)
横浜銀行襲撃事件の犯人の1人である石井元は、なんと直前まで銃砲店で働いていた。
そのエピソードは4月23日の朝日新聞に報じられている。
(クリックすると読めます)
■1971年3月23日 学生風2人 銀行襲う(宮城県泉市・振興相互銀行)(朝日)
坂東国男率いる坂東隊のM作戦のデビュー作である。
植垣康弘の「兵士たちの連合赤軍」によると、坂東隊の任務は爆弾製造であった。しかし生活費を稼ぐため、森の命令はなくとも日ごろから万引きを行っていた。中央から金が送られてこないようになると「よし、こっちもM作戦をやろう」と単独行動を起こしたのであった。この頃の坂東は植垣と冗談を言い合い、バカ笑いをする仲だった。
■1971年3月25日 仙台の銀行強盗 赤軍派と断定 車に弘前大製の指紋(朝日)
(クリックすると読めます)
見出しは「仙台」となっているが、正確には「仙台近郊の泉市」である。
植垣は新聞記事で車中に連絡先を書いたメモを落としていたことを知る。
(「兵士たちの連合赤軍」)
■1971年3月26日 赤軍派の植垣に逮捕状(朝日)
「どうせ全国に流すのなら、もっといい写真を出せばいいのに」
といって強がった。しかしその写真が私にあまり似ていなかったので、ホッとした。
(「兵士たちの連合赤軍」)
「69年の10・21闘争」での植垣の逮捕は 1969年10月21日 国際反戦デー(革命左派、赤軍派) を参照。
赤軍派の連続強盗事件について、坂口弘は次のように評している。
反人道的闘争を革命の権威を借りて正当化する傾向は、革命左派、赤軍両派に共通している。これは両派が左翼だったからである。しかしいかに革命の権威を借りて正当化しても、反人道的闘争の客観的性格が変化するものではなかった。
やむを得ないだの、仕方なかった、などという言い訳がましい闘争は、大体が闘争そのものに問題があるとみて差し支えない、と私は思っている。
(「あさま山荘1972(上)」)
この後もM作戦は散発的に続くが、逮捕者が続出し、坂東隊以外のグループは壊滅してしまう。逮捕者の供述や家宅捜索によって、PBM作戦の全貌が明らかとなり、いよいよ森恒夫があぶりだされてくるのだった。