1972年3月7日 リンチ殺人事件発覚 |   連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)

■連合赤軍 仲間を殺し埋める 「裏切った男」を裸で(毎日夕刊)
連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ粛清事件、新聞記事)-1972-03-07 毎日 夕刊01

 群馬県警は妙義山篭沢アジと付近で逮捕した永田洋子、森恒夫、杉崎ミサ子、奥沢修一の4人を調べていたが、4人の自供から、「内部で意見の対立があり、反対した男1人をアジと付近で殺し、全裸にして埋めた」ことがわかった。4日朝から死体の生めば所を探していたが、山林の中に埋めてある男の死体を発見した。

 犯人の自供によると、男1人が「スパイ」をした。このため、全員が男の手足をしばりなぐるけるのリンチを加えた上、氷点下15度の厳寒下に二晩放り出した。男が死んだため衣服を引き裂いて全裸にし、山林中に埋めたという。


 この日の夕刊に、いっせいにリンチ殺人の記事が掲載された。4人ともこの衣類をみせられて顔面蒼白になったと報じられている。 自供したのは奥沢で6日夜になってから。


 組織の論理では黙秘することが組織員たリ得るかの基準であり、自供することは「転向」として弾劾された。事実、殺された加藤兄は「黙秘したが、刑事と雑談はした」と言っただけで、共産主義化に反するとして暴行的総括を受けた。奥沢は合法活動をしていて、途中から山に参加したため、黙秘に関してそれほど強い意志はなかったと思われる。


 リンチ粛清事件は、リーク情報をもとにした憶測記事記事が多い。この記事も含め、以降の記事もかなり不正確であることに注意しておきたい。


あさま山荘事件以前に逮捕されたメンバーの記事はこちら。

1972年2月15日 京浜安保共闘 榛名山アジト発見

1972年2月17日 最高幹部の永田洋子と連れの男を逮捕

1972年2月18日 永田と一緒に逮捕の男は赤軍派幹部の森

1972年2月19日 軽井沢駅で4人逮捕


■留置場200時間(毎日)

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 逮捕されたメンバーの留置場での様子が興味深い。少年弟は「ふろには一度も入っていない」ことになっているが、2月29日の朝日新聞では、「フロをすすめられると、はいりたくないと断ったが、しばらく考えたあと「頭がかゆいし、体が汚れているからやはり入ると入浴した。」となっている。


■その他の記事

・群馬県警は横浜国大生、寺岡恒一(24)を指名手配した。(毎日)
・群馬県警は、篭沢アジトの遺留品にセーター、下着、登山ズボンが見つかっていて、それらに人ぷん、尿がついており、どの衣類も刃物で切り裂かれていたことから、人が死んでいることは間違いないとみていた。(朝日夕刊)

・公安当局は、発見された死体は梅内か寺岡のいずれかではないかと見ている。(読売夕刊)