■"粛清"されたのは元京大生 穏健派だった山田 過激路線から脱落
粛清されたのは元京大生の赤軍政治局員山田孝(27)とわかった。死体には外傷はなく、手足を縛られたうえ、放り出されていた。一味の自供や、群馬県警本部の話などを総合すると---
篭沢アジトで、山田は「裏切り者」として自己批判をせまられ、人民裁判にかけられた。しかし自己批判をがん強に拒んだため、あとは力ずく。手足をしばって、みんながなぐったり、けったりしてリンチを加えた。ぐったりすると、夜は妙義山中の野天に放り出した。零下15度の雪の中では、放っておいても死が迫ってくる。死んでいく山田に、最後まで自己批判を迫って、見張り番までつけたらしい。放り出して2日目、山田は死んでいた。
森や永田や坂口の手記を読めばわかるが、山田が粛清された理由や経緯はまったく間違っている。山田は裏切り者扱いされたのではない。自己批判を迫られたきっかけは、車の修理中の待ち時間に銭湯に行った、というささいなことであり、それをきっかけに官僚的、傲慢的な態度が問題視された。
■奥沢の取り調べで突破口(毎日)
松田署の奥沢は山田の着衣をみて、一瞬体を硬直させ、真っ青になった。奥沢は一味の中でも、もっぱらレポ役をしていたり、逮捕時は手配されていない穂ドン新顔。したがってほかの三人ほど"筋金"入りでなく態度もオドオドしがちだった。.....奥沢らは「裏切り者だった」というだけで詳しい自供はしていない。
奥沢の自供内容は以下のように読売が直接話法で報じている。奥沢が下記のようなでたらめの自供をするはずがないから、当局の想像がリークされたのか、読売の妄想記事であろう。
「山田が急にわれわれに接近し始めたのち、アジトが次々に摘発されたこと。ただ1人間丘事件1周年記念蜂起計にも慎重な行動を主張するなど裏切り行為の疑いがもたれ、全員の反感が高まった。山田が洞穴からでたあとで、全員が数時間にわたって相談、リンチを加えることを協議した」と自供。(読売)
そして舌の根も乾かぬうちに同じ面にこう書かれている。
奥沢は調べ中ときおり涙を流すようになり、ポツリ、ポツリと自供した。「妙義のほら穴の外で手足をしばられて二晩ぐらい放り出されているうちに死んでしまった」「裏切り者だったんだ」「自動車で死体を運んだ」。(読売)
どうやらリーク筋がいくつもあって、しかもかなりの想像が加味されているようだ。それをまた新聞が裏づけ調査なしに憶測で記事にするから、読者にはそれが刷り込まれてしまう。そして間違った記事は訂正されることはない。この傾向はずっと続く。
■もう何も聞かないで 山田の妻(朝日)
「夫が赤軍に属していたことについては何もいえない。もう何も聞かないで。かんべんしてほしい」
■トビラ閉ざす 山田の妻(読売)
「夫のことはテレビで知りました。驚きもしないし憎んでもいません。何もお話しすることはありません」
■意外に冷静 山田の妻(毎日)
「非常にショックでした。彼もその苦しみの中から進むべき方向を必死になって考えていたと思います」
なぜか3紙でニュアンスが違う。山田の妻は、後に獄中メンバーに差し入れをしたりしている。森恒夫が自殺当日に書いた坂東あての手紙にも「山田さんの差し入れてくれた花が美しく咲いています」と書かれていた。彼女の心情を探りたいが残念ながら手がかりは見当たらない。
■浅間山荘事件 寒々とした"ショー"は終わった(アサヒグラフ3月17日号広告)
この日、アサヒグラフの広告には、「寒々とした"ショー"は終わった」というコピーが使われている。しかし、すでに浅間山荘事件よりはるかに「寒々とした"ショー"」が始まっているのだ。
■その他の記事
・山田は「裏切り者」という表現から、警察の密告者とのみなされた可能性もありうる。(朝日)
・武闘派の森が、穏健派の山田を対立勢力の旗頭とみて粛清したのではないかとの見方が強い。(朝日)
・塩見孝也議長が逮捕された際、山田は同議長を隠匿の疑いで警察に捕まったがすぐ釈放された。それが幹部にスパイと疑われていたのではないか。(読売)
・除名したはずの山田がいまになって突然武闘派に参加してきた不自然さや、アジトが相次いで摘発され、不審をもたれたという見方もある。(読売)