あさま山荘事件の10日間をふりかえる(筆者) |   連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)

 あさま山荘事件は人質立てこもり事件としては、解決まで10日間を要した異例の事件である。この間、犯人側からは何の要求も声明もなく、あるのはただ銃撃のみ。当然ながらマスコミは、人間性のまったくない冷酷な犯人像を作り上げていった。私たちは、逮捕されるとき、薄ら笑いを浮かべて出てくるに違いないと勝手に想像していた。だから、2月28日夜、5人が逮捕されたとき、駄々っ子のようにジタバタしながら連行される犯人たちの実像に大きなギャップを感じざるを得なかった。


 もちろん山荘内部では様々な迷い、葛藤があった。逃亡するか立てこもるか、人質を解放するかしないか・・・しかし、坂口たち5人は、この闘いをかねてよりの旗印であった「銃による殲滅戦」と位置づけることによって徹底抗戦することに決めた。なぜ10日間も頑張れたかというと、その直前まで12人の粛清(リンチ殺人)を行っていたからである。「銃による殲滅戦」を行うために厳しい「総括」を要求し、死に至らしめた仲間たちの弔いとなっていたから、白旗をあげるわけには行かなかったのだ。もっとも、そんな事情は知らないから、客観的には追い詰められた凶悪犯人が人質をとって立てこもり、逮捕をまぬがれようとする凶悪事件そのものであった。


 一方、人質の安否はまったくわからず、イライラは募る一方だった。進展しない状況に警察に対する不満も感じた。精神医学者や心理学者まで登場し、口をそろえて「もはや限界」といっていた。日本中が人質はどんなにつらい思いをしているか、とわが事のように心配していたのである。そこで救出された人質が、犯人とある意味"親密な関係"ともとられかねない発言をしたから、私たちの抱いていたイメージと大きなギャップによって、思わぬ批判を浴び、警察からも厳重な注意を受けてしまう。この影響で彼女はたびたび発言がぶれ、インタビューの都度、言葉をつまらせたり涙するようになったが、それは事件の恐怖がよみがえるからではなく、風当たりの強さによるものと思われる。もともと彼女には何の瑕疵もないのだが・・・。人質としては無傷で解放されたとたん、私たちが勝手に膨らませたイメージによって傷ついてしまったのだった。


 犯人と人質に感じたこうしたギャップは、10日間という長い時間が作り出したものだ。そして、その間の報道というものが、私たちの心理に与えた影響の大きさを感じざるを得ない。もし、あさま山荘事件をリアルタイムでなく、後年、書物で知ったとしたら、こうしたギャップを感じることはできないだろう。


 あえてこの事件の光の部分をいえば、1人の人質を救出するために、数千人の警官が懸命に努力し、一億人の日本人が心を1つにしたことを確認できたことだ。坂口は包囲している警官の数の多さに「われわれ5人になんと大げさな」と思った。また、新左翼各派はこの5人の頑張りをたたえる声が多い。だが勘違いもはなはだしい。取り囲んだ警官は、彼ら5人と「殲滅戦」を戦うためではなく、1人の人質を救出するために集結したのである。


 ともあれ、犯人逮捕と人質救出によって連合赤軍事件は終わった、と誰もがほっとし、日常生活に戻ろうとしていた。しかし、これはラストシーンにすぎなかった。数日後から、もっと陰惨で恐ろしい事件の報道が紙面を飾ることになる。あさま山荘の闘いを擁護していた新左翼各派も思わず引いてしまうほどの---リンチ粛清事件の発覚である。