幻覚が治り始めた

体調は最悪で動けないが…
やたらと仕事が気になってしょうがなかった

それは倒れる前に請求などをちょうど済ませたが…
今月の請求が出来ないかも知れない。
その前に…
『うちの職人達は俺が倒れて意識が無くて、仕事をどうして居るのだろうか?』
怖くて聴けなかった


取り敢えず、18年一緒にやってくれてる同級生を呼んで話を聞いた。
『大丈夫だよ!
こんな時こそ信用してよ』
全部の現場で全作業員が上手くやりくりしている。
その時は『誰か辞めた?』とは聞かなかった。
とにかく
俺が死にそうで倒れた事は
お客さん(メーカー)に内緒にして快復を信じて居てくれた。
そけで一番信用出来るメーカーの人に来てもらい事情を話した。
そうしたら
だいたい連絡が無いからわかっていた。
『お前の会社は潰れたりしない…
お金の事は何とかするから気にしないで、治療に専念してくれ!』
と言ってもらえた。
もちろん
会話にならないから


ですが…
長年の付き合いで皆言いたい事が解っていた。
『大丈夫。皆で乗り切る』
話し合いで、
同級生に2ヶ月は請求高を全部任せる事にした。
もちろん各現場の職長達も資料を作り纏めてくれた。
全員で乗り切る!
だから…
俺は…何にも出来ないけど
『生きなきゃ…』
と決めた!
まずは…
主治医にリハビリの先生を紹介して貰いたいと頼んだ。
だが…
『一応言ってみるがまだ早いかな…』
と言われた
が直ぐに
リハビリの先生が来て
『ICUの時から心配してたんだよ』と
足が動く様に

もちろん左足は動かない…
家族…兄弟…母親…
毎日交代で足が動く様にマッサージしてくれた。
左手も動く様になり、
自分も
『何かしなくちゃ』
と思い友達に軟式のテニスボール

握力をつけようと…
でも
始は触るだけ…
握ったりは出来ない…

ただ動く様にはなって来た。
まだ寝返りなどは出来ない

身体には心電図の配線と点滴も輸血も続いてる

腹水が少し抜けて来た頃から椅子に座れる様になり
車椅子

その時の体重が81キロ
たぶん…腹水を抜く前は85キロは余裕に有っただろう。
なんせ体重計に乗る事が出来なかったから解らない?
ただ72キロだった俺はビックリする

ですが…
本当に驚いたのはこの後…
俺はガマン出来ず…
待ちきれず…
無理矢理リハビリを依頼した。
もちろん車椅子

何も出来なかったが車椅子椅子で動く事が俺にはリハビリのスタートだった!
自分で動かす事はまだ出来ない…
ただ
動かしてもらうタイヤに手を合わせ一緒に動かす

そして
ストレッチにマッサージ
をやってもらう。
何週間して歩行台

そして成功したら今度は
歩行器にチャレンジをした。
歩行器は大変だった

初日15m 次の日30m
何日かやったが4~50mの辺りが限界だった!
気が付いたが
足が浮腫でいるから負担がかかっているのだと勝手に思った。
まずは近所で
友達が近くでマッサージ屋さんを経営しているので相談して
リンパマッサージの先生を病院のベットに来て貰い
毎日治療をやってもらう事にした。
もちろん病院には許可はもらった!
リハビリとステレッチ歩行器をやった後に一時間のリンパマッサージ

見る見る足が細くなった。
足が細くなったら今度は杖の練習

まったく出来ない…

一度諦めまずは車椅子を自分で動かす練習をした。
今まで気が付かなかった。
病院のエキスパンション(繋ぎ目)
5センチぐらいのスロープ
これが大変。
とくにスロープは頑張って昇ったら戻される

上がれない

そんな事を何度も繰り返した。
ただ車椅子を動かす練習で腕の浮腫が取れて来た。
見る見る細く。
腹水が抜けて…
手足の浮腫が取れて…
体重は3週間で52キロまで落ちていた…

超ダイエット?
昔…
米米クラブの解散コンサートで石井さんが
10キロまでは…中エット20キロで…ダイエット 5キロ位は…小エット
30キロ越えたら…それは超エットだね

話しているのを思い出して笑った。
ここまで来たら…身体におこってる事に理解出来ずに他人事みたいだ。
始めに言われてた。
2週間寝てたら筋肉の70%が落ちる…
俺は既に50日は寝たきりだった!
筋肉などはもう残って無かった。
もうゴボウだ!
俺は
背筋力260キロのキン肉マンだった!
だが…もう
代わり過ぎて面会の人もビックリする位になっていた


それじゃあ
杖何か持てない。
歩け無い。
リハビリの先生は
『階段などお尻で降りる練習をしよう』
それと同時に俺にはもう歩け無いと
無言の告知の様に感じた。
ガキの頃から人一倍負けず嫌いの俺には…
『お前だったら大丈夫』
と言われてる様にも思えた。
昔から言う。
『神は乗り越えられる試練しか与えない』
俺の好きな言葉だ。
神は信じないが何にでも
祈りたい気分でした!
熱も初めて37度前半位まで下がって来た。
俺は,がむしゃらに
テニスボールと1キロの鉄アーレで鍛え始めた。
力が無くて…
ペットボトルの蓋が開けれないのが一番歯痒かった

水が飲みたいのに開けれない

脚はリハビリ室にある機械で鍛えた

あまり負荷をかけると貧血がおきる。
先生からはオーバーワークと言われる。
懐かしい
若い頃ジムの会長に言われてた言葉だ。
2週間位オーバーワークをしたら杖で歩く事が出来た


『ほら見ろ』
久しぶりのドヤ顔だ


その頃には丁度喋れる様になって来た。
発病から2ヶ月
御褒美で

『美味しかった』
御飯を食べて感動して涙を流したのは生まれて初めての事だった!
やっと快復を実感出来たのが40歳の


