巷では「岩屋」外務大臣が史上最大の悪者の如く罵られている.GoogleやYoutubeで「岩屋」と検索すると,この岩屋毅外務大臣の売国的振る舞いを多くの人々が糾弾する様子が見られる.本人は気付いていないだろうが,「岩屋」の名を大いに貶めて穢す役割をこの岩屋毅氏が担っているに違いない.
このブログの読者にとって「岩屋」と来れば当然,「岩屋梓梁」である.本名は橋口弥次郎左衛門兼清で僧名が岩屋梓梁なのである.
もう何度も話題にしたのでだいぶ飽きて来たが,日本の歴史を考える際に無視してはならない存在であることは間違いない.岩屋梓梁に深く関わった人々についても改めて考察してみたいのである.
例えば,徳川時代に一体どういった政治体制であったかの本当のことを私は知りたいのである.我々が学校の歴史の授業で学習した江戸時代は本当に丁髷帯刀の武士の時代であったのか?タルタリア帝国の一部地域が現在の日本列島だったのではないか?
窪田志一氏の本によると室町時代に岩屋梓梁率いる外交訪問団一行は,ロシア極東地域を探訪し朝鮮・中国・ペルシャ地方などを歴訪しインドに到達したといったふうに記述されている.ということは,ロシアの極東地方は日本と大いに関係があったのである.実際,シベリア北部地方のサハ共和国に住むヤクート人は風貌が日本人そのものである.
また,北アメリカに嘗て住んでいたインディアンはアジア人であっただろうし,その末裔の風貌も日本人に似ているのである.
岩屋梓梁こと弥次郎は500年以上前に日本を代表して世界各地に日本的「和の心」を広めることに尽力したのではないか?外交という分野で評価すると相当な優れたものであったに違いない.しかし,その事績を亡きものとしたい勢力が今現在も必死になって裏で蠢いているというふうに私は感じる.偶々,政治家で岩屋の名を冠している人物をターゲットにして上手く唆して権力を握らせ,わざとらしく悪政をやらせて叩きまくり,名を汚し,日本人のアイデンティティの喪失を目論んでいるのではないか.そういった,邪な魂胆が見え透いていて私は実に不愉快である.
兎に角,政治は今現在「ドラマ」と化している.やっているふりができる人間が政治に関わって権力を振り翳しているのである.どの党が良い悪いという不毛な議論にはもう付き合わない.自然調和を重んじて自己確立に励む,ただそれだけだ.
文献
1) 窪田志一:易断政府を樹立した岩屋梓梁,岩屋梓梁と易断政府研究会,(1972).