明治10年に勃発した西南戦争については西郷さんを中心にして語られることが多い.西南戦争が何故勃発したかについて多くの歴史学者が真剣に探って来たが,私はどの説も何かしっくりこなかった.唯,窪田志一氏の著書だけは正鵠を射たものであるように感じている.
 ところで,これまでこのブログでは西郷さんを度々話題にして来た.

 

 

 

 

だが,何方も西郷さんのことを霊界から述べられたことはなかった.そこで今回は霊界通信として,田原澄女史の宇宙学教室発行「神霊星界通信記録第3巻」を取り上げる.邪霊である「熊襲の霊」が次のように告白している.

  熊襲の霊の告白と西郷隆盛の言葉  昭和36年6月13日

 わしは日本の熊襲,熊襲の元祖.熊本を中心に居た.…神武天皇の弓に止ったのは鳶ではなく神の光だ.賊軍は目が眩んで敗けた.皇室に歯向っても仕方がない.が歯向いたい気持ちのあるのが熊襲じゃ.…昨夜ソ連から来たのは我々の仲間のオリオン.わしは地着きサ.日本は地球の中心なので,皇室をやっつけるため選ばれて2800年前オリオンから来た.神に逆らう者は間抜け.我々が神の器械(田原澄女史)を壊そうとしたのも同じ.日本武尊に敗れたのも同様間抜け.
 我々は勇猛果敢で第6師団は強く,西郷の部下に入り西南戦争をやった.黒竜会等も我々のもの.西郷隆盛は今神界に近い所にいる.綱島正興に入り議会で神の教えを昂揚するだろう.西郷に入り哀れな最期を遂げさしたのは我々だ.今西郷は彼処に来ている.又わしが何か悪いことをせんかと大きな眼で睨んでいる.隆盛は上った.神の世界にいる.日本を守っているのは西郷,国会では綱島正興.唯一人の議会人で神のわかる者.何の為にわしが出なければならなかったか?この最後をつける.後で西郷が出る.わしは…2300年間悪さをして来た.今日本の議会は綱島一人が守っている.他は,自民,社会,共産党全て我々が入っている.では逝く.
 (西郷隆盛) 隆盛でごわす.本日は皆様お揃いで有難う御座います.頼むぞ!…ハー天を敬い人を愛す.お前さんお蔭じゃ.


「オリオンから」とあるが,私が前後の文脈から判断するとオリオン星座のリゲル星だと思う.オリオン星座からの邪霊については80%が取次の器械である田原澄女史によって退治されたとされている.「神武天皇の弓に止ったのは鳶(とび)ではなく神の光だ」とあるのは実に興味深い.錦絵にはいつも神武天皇の弓にトンビが止まっているのが定番である.

 

 

錦絵というのはどれもこれも後世に生きる人々に間違ったことをイメージさせる為に造られたものであることが,このことだけでも明らかである.神武天皇の本当の事績については荒深道斉氏著の「神武太平記」が最も信頼できる書物であると私は信じている.第6師団とは熊本鎮台のことである.

 

 

即ち,西南戦争のときに西郷軍と対決した新政府軍のことである.そして,西郷の部下とは桐野利秋等の血気盛んな連中のことである.黒竜会とは右翼団体である.

 

 

綱島正興とはこういう人物である.

 

 

「自民,社会,共産党全て我々が入っている.」とあるが,現在でも日本の政治政党は悉く裏でこういった邪霊共に操られているに違いない.この熊襲の邪霊が「では逝く」と言って去ったということは,結局は神に抹殺されたということであろう.抹殺される前に神が邪霊に対してこれまでのことを全て吐き出させているのである.
 そして,この後ついに西郷南州隆盛が御登場された.口ぶりからして如何にも鹿児島県民である.西郷さん本人に間違いない.神の世界に上って行かれたとのことで実に嬉しいことだ.死後霊界で様々な方々とお会いになられたであろう.共に戦った若い薩摩の衆や,当時激しく対立していた大久保・川路とはお会いになっただろうか.そして何より,西郷さんが幼少期から心底憧れていた岩屋梓梁にも邂逅されただろう.西南戦争から80年程経過して昭和36年に遂に霊界の高いところに上られたということだろう.
 要するに,この熊襲の邪霊は3000年の長きに亘り,南九州の地を霊界から操って来た.通りで日本の歴史を紐解くと九州地方を中心にして戦争紛争が随分と多いのである.西南戦争も熊襲邪霊が裏で操って起こした.薩摩武士は血気に逸る者が多いから扱い易かったということである.幕末明治維新から西南戦争にかけての激動の歴史的うねりは別の次元で跳梁跋扈していた勢力に拠るものだったのである.窪田志一氏の著書には明治初年に西郷さんが岩屋梓梁顕彰を達成する為に陰に陽に各人に働きかけて努力する姿が描かれている.が,それを阻止すべく邪霊は周辺の者に取り憑いて西郷さんの為す事の先回りをし,悉く潰して行ったというのが真相だろう.歴史を紐解く上で欠かせないのが四次元の世界である.従って,歴史的な事件事故を多次元的に捉えずして真の人間活動は語れない.
 司馬遼太郎は昭和の時代に歴史小説「翔ぶが如く」を単行本10巻分執筆したが,四次元霊界からの働きなど一言も述べなかった.寧ろ,西南戦争が西郷と大久保だけの対立であるかの如く執拗に描いた.映画テレビでもこの時代の様子を描くのに邪神・邪霊の画策などを題材にしたものは皆無である.窪田志一氏も霊界でこの事実は知っただろうか.岩屋梓梁に関わる著書を幾つか残して居られたが,熊襲の邪霊の存在を語る事は全く無かった.
 世の主流歴史研究家は時の権力者に阿る態度姿勢を維持し,おまんまを喰う為に嘘の歴史を研究し,大学の教壇に立ってしたり顔で学生に教えているのである.このことは大正昭和の古い時代であれば通用したかもしれない.しかし,令和の時代には愈々スピリチュアル系の知識が注目され出しているので,大学教授共が忌み嫌う主観的判断に基づく資料参照が俄然益々威力を発揮するようになるだろう.昔ながらの隠蔽は通用しなくなる筈だ.

文献
1) 高木 国男 編著:神霊星界通信記録-宇宙創造神取次の器械田原澄女史による-第3巻,宇宙学教室叢書第7号,pp.155-157,(1972).