『大塚バッティングセンター&ひょうたん島』2023年6月30で閉店 | オーディションからデビュー!

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テレビ番組取材や映画のロケ地としても使用されてきた「大塚バッティングセンター」58年の歴史に幕を下ろした。

 

この度、ひょうたん島は2023年6月30日(金)をもちまして、閉店致しました。

長年にわたりご愛顧頂きまして心より感謝申し上げます。

開業58年のバッティングセンター・創業47年のパチンコ店
ビル・店舗の運営会社 有限会社大久保商事

代表者:大久保佑一

 

閉店の理由

「後継者がいないなど将来性を考えた時、余力があるうちに廃業した方がいいと思い決断しました」

マネージャー談

「オーナーは現在が2代目となりますが、事業を受け継ぐ後継者がおらず、また(パチンコ業も含めた)業界の先行きは厳しいものとも予想されています。それらを総合的に勘案した結果、お客様や株主など関係各位にご迷惑をかける前に、まだ余力のある今のうちに廃業するのが最善と判断した次第です」

 

有限会社 大久保商事

1947年(昭和22年) 6月 創業 解体業を営む

1965年(昭和40年) 初代オーナーが資材置き場の一角でバッティングセンターを始めた。

1976年(昭和51年) 現在の大塚レジャービルが建てられた。

1976年(昭和51年) 10月1日 ひょうたん島オープン(大塚店)

既に閉店:ひょうたん島(坂戸店)、ひょうたん島(松戸店)

2023年(令和5年) 6月30日 バッティングセンター/ひょうたん島 閉店(大塚店)

 

2階「大塚バッティングセンター」「GAMETOWNぴこたお」(ゲームコーナー)

1階「ひょうたん島」パチンコ機304台・パチスロ機109台(合計413台)のホール

東京都豊島区南大塚1-52-4 大塚レジャービル(3階建て)大塚駅南口から徒歩約2分

 

現存している施設の中では国内最古の「大塚バッティングセンター」

※日本最初のバッティングセンターは、1965年12月28日にオープン商業施設東京楽天地の屋上(東京都墨田区)ですが、1969年10月31日に閉業している。

大塚のパチンコ スロット店「ひょうたん島」の競合店は『サンドラ大塚店』や『ガイア大塚北口店』※大塚南口にヒロキ(1988~2008年9月30日)がサンドラになって、北口の店舗はコンビニに変わった。

※1930年に日本で最初のパチンコ店舗(名古屋)が開店

 

 

仕事で行った以外に幼少期には少年野球チームにいたのでバッティングセンターで打った。

数多くの芸能人がロケ地として来た。アイドルグループの「乃木坂46(4期生)」も訪れた。

友人がパチンコ店で働いていたので、会いに行ったら大当たりでお土産いっぱいで何回も行った

最終日にひょうたん島へ行って夜10時にカード精算と商品交換して閉店までもう1回打ったら大当たりで閉店時間になって交換所はすごい列で閉店の店を出たのは私が最後でした。とくにセレモニーはありませんでしたが店舗スタッフは普段以上に忙しかったようです。

7月7日までは店内で会員カードの精算ができる。商品はパネルから選んで自宅に配送される。

社員は7月15日までは店舗の残務整理でパチンコ遊技機(ゲーム機)の処分(販売)するそうです。

 

私が思うには、
決断を後押ししたのは「後継者不在」と「業界の先細り」という、少子高齢化などを背景とした日本企業の多くが直面する課題だったのだ。 

後継者不在に関しては、各店舗の責任者の社員(ベテランは約20年勤務者等)を後継者と言う選択肢はないようで、一番は売上高が全盛期から下降していることだといえる。

後継者になると当然に経営面で金融機関との調整や資金繰りで大変になるので、損な役回りのなる後継者はいないと思います。コロナ過の前やバブル期なら楽しく経営できるのに良いことは長く続かないので精神的負担で健康を害する。高齢になっては先(人生の命)を考えてしまう。

バッティングセンターの料金が安いのは、本業での収益があるので経営ができるが、パチンコ店の客足が減ったことと特殊景品の1g金が他店で交換され大損したようです。1g=交換9,000円で他店買い取り額は9,600円で元の仕入れは(2007年10月まで2,500円)5,000円以下で倍近くの損失があって、1gの金の取り扱いを中止して、0.3g=4,000円と0.1g=1,000円だけとなった。パチンコは銀色の玉を触るが、スマパチ(スマートパチンコは一切玉に触れることはありません)へ移行するので、導入設備費に多額の資金を投入してもパチンコ人口の減少で回収見込みが難しいのと、2024年7月3日の新紙幣発行により新札券売機の導入設備費など出資が多く、

今ある資金を確保するには今が廃業時と思ったと思われます。

 

GWにアルバイトを採用して2か月で終了することを考えると6月15日に発表するコロナ過以降からの売り上げなどを総合して少し前に決断したようです。代表は70代後半であと数年で80歳になるので高齢になったのも精神的負担があるので、これで肩の荷が軽くなればいいと思います。

 

帰る際に正面玄関前に若者が並んでいたので、何かと思ったが店舗の内側シャッターが開いて、

これから店舗内の撤去作業の補充メンバーと言ってました。

閉店後の跡地利用については「現時点で未定」ですが、駅前の角地で全面が大通りで立地条件がいいので「いずれ取り壊される」と高層ビルになるようだ。

 

バッティングセンターでホームランの金のプレートなど名前入りは自宅に郵送するそうです!

中川様は中川翔子さんの今は亡き祖父と思われる!

 

単純計算で18歳からP店で打ち始めて1日に10万円で月300万円だと年間3600万円

3年で1億円超を打ち込んだことになる!さすがに毎日だとプロか常連でオープンから47年で定年まで約17億円で、回収は3日に1回だと約5億6000万円だとするとマイナス11億4000万円赤字となる。私は大勝1回・勝2回・2回トントンで、1回負け・1回大負け=3:2でプラスであった!因みに私は定職があったので毎日は来店してはいません。