先日ネットニュースを見ていたら「男子ママ」という言葉が出てきた。
わしのように家事育児を担当している男親のことだと思ったらどうやら違うらしい。
この国の、男女の性別役割意識は、国を亡ぼすね。本気でそう感じた。
無職のうちの妻が「私は保育園にお迎えに行きません。あなたが19時までに行かないと、児童相談所に行くことになります。」
という無理難題を言うので、私は何度走ったか。
すべての女性が妻のようになれば、この国は変わる。
わけのわからんおっさんたちが偉そうだから、おかしいのだ。
上司に言えばいいのだ。「私が今退社して保育園のお迎えに行かなければ、子供が児童相談所に行くことになるので、帰ります。」と。
なぜそれができない?おしえてやろう。バカだからだ。
アイヒマン裁判を学べ。素直にいうことを訊いているのが、ヒトとして最悪なのだ。
わしの大学教師としての最初の仕事は、いうことを聞かない学生にすることだ。
慣れてくると
「来週ディズニー行くんで休むんで、出席にしてください。」「いいよ。」
「河野さんの授業分かりにくいんで、自分で勉強します。出席にしてください。」「いいよ。」
「河野さん計算間違っているよ。」「あほんとだ、ごめん、ありがとー」
となる。これがどれほど素晴らしいことかわかるだろうか。
いつ死ぬかわからないので、ディズニーに行きたければ大学など行かず、行けばいいのだ。
毎日、一番やりたいことをただやればいいのだ。
「義務」は必ずついて回る。だから程度問題ではあるが。
私はサラリーマン時代、サービス残業が横行していた会社に勤めたが、時間になると必ず帰ることにした。違法行為だとわかっているから、上司は何も言えなかった。
私に続いて帰る人が増えた。私が先駆者だったのだ。
できないことは、できない、と言わなければならない。
この国の人たちは、上司に「戦争に行け」と言われたら行くだろう。
「神風。明日ね、突っ込んでね。」と言われたら、「はい」となるだろう。
私は簡単だ。「嫌です。」と答える。
労働者は法令に順守されまくっているのに、なぜ、疑問を行動に起こさないのだろうか。
この国は、家事育児をすべて男性がし始めたら変わる。
私はその先駆をやっている。
女性は生むだけで命がけなのだ。生み落としたら、あとはすべて男性がやる。ミルクをやり、寝かしつけて、保育園に連れて行くのだ。
女性は命を懸けたのだから、後の人生はゆっくり過ごせばいいのだ。