山から海に向かい

今日もまた、

 

水は川を流れ続けるのと同じ様に、

 

 

時もまた

太古の昔から、

はるか先の未来までの

 

永遠の中を

 

流れ続けます。

 

 

時は非常なまでに、

一瞬のよどみもなく流れていき

 

その流れが回す、

時の水車もまた

永遠に回り続けます。

 

 

その水車は、

誰が回すというわけではなく、

 

この世の定めにより

回り続ける・・・

 

 

そうとわかってはいても、

 

人はみな、

 

永遠の時の流れから見たら

まばたきの間にもならない、

その人生の間を

 

未来を信じ、

夢を見ながら、

 

きらめくようなその命を

燃やしながら、

全力で懸命に生きるもの。

 

 

そして

 

夢を見ながら、

懸命に一つのことを成し遂げていく

 

その思いが強ければ強いほど、

 

成し遂げていくことが

大きければ大きいほど、

 

 

その姿は、

 

他人からはまるで

その人物がその力で

 

時の水車

 

を回しているように見え、

 

 

人はそれを

 

奇跡

 

と呼ぶのかもしれませんし、

 

 

実際に、その時、

 

時代

 

は動いているのかもしれませんね・・・。

 


 

 //////////

源 義経
(1159~1189)

 

 

平安時代の末期、

 

当時、都で権力を振るっていた

平氏の打倒のため、

 

兄・頼朝の挙兵に協力。

 

 

数々の戦いの末、

 

平氏を滅ぼした最大の功労者

であるにもかかわらず、

 

その後、

頼朝と対立し朝敵とされ、

 

 

若い頃、身を寄せていた

奥州の藤原秀衡を頼ったものの、

 

秀衡の死後、

頼朝の追及を受けた

当主・藤原泰衡に攻められ、

 

現在の岩手県平泉町にある

衣川館で自刃・・・。

 

 

 

「源氏再興」

 

という夢を見ながら、

 

 

命をかけて懸命に生きた、

まばゆい光と

 

悲劇的な運命による最期という

暗い影

 

が織りなした

 

たった30年の義経の生涯が、

 

 

昔も今も

 

人の心に熱い思いを与え、

 

たくさんの伝説や物語が

残されているのは、

 

 

人には、

義経がその力とその思いで、

 

時の水車

 

を回し、時代を動かした、

 

 

そんなように見えて

心を動かされるから・・・

 

 

という理由も

あるのかもしれませんね。

 

 

【壇ノ浦に面する山口県

みもすそ川公園の源義経像】

 

///////////

「殊ニ存念アリ、一陣ニオイテ命ヲ棄テント欲ス」

 

(現代語訳)

「特別に思う所があって、

先陣において命を捨てたいと思う」

 

 

一ノ谷の戦いの後、

平氏追討のため西国へ進撃した

兄、範頼が苦戦していることを知り、

 

屋島に出陣しようとする義経に対し、

後白河院の使者の

 

「大将自らが先陣をきるものではないのでは?」

 

という言葉に対して、

義経はそう語ったと、

 

鎌倉幕府による歴史書

「吾妻鏡」

に記載されており、

 

 

吾妻鏡の筆者はこの言葉に対し、

 

「尤も精兵と謂うべきか」

(非常に強い兵士と言うべきか)

 

と評しています。

 

 

頼朝と対立し、

鎌倉幕府により滅ぼされた

義経に対する、

 

鎌倉幕府編纂の歴史書での賛辞。

 

 

それは、

 

命をかけて戦い続け、

時代を開いていった義経への

 

当時の人々の思いを

代弁したもの

 

・・・なのかもしれませんね。

 

 

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「後の世もまた後の世も

めぐりあへ

染む紫の雲の上まで」

 

(後世もそのまた後世も

めぐり逢おう。

あの紫色に染まった

浄土の雲の上まで

一緒に行こうではないか)

 

 

この句は義経の辞世の句

 

・・・と言われていますが、

 

出典は

 

「義経記」

 

という、

 

南北朝時代から室町時代初期に

成立したと考えられている

軍記物語です。

 

 

義経の死からおよそ200年後に

書かれた物語なので、

 

この言葉も、

実際に義経自身が残したもの

とは思えませんが、

 

 

この物語の著者は、きっと、

 

その力で

 

時の水車

 

を回していった末に

非業の死を遂げた義経に

思いを込めて、

 

辞世の句を残すことのできなかった

彼の気持ちを代弁するつもりで

 

 

人の命は短く、

限りがあるとしても

 

その思いは、

永遠に続いていく

 

 

という思いを詠んだ・・・。

 

 

そう思える歌であり、

 

だからこそ、

本当に義経が詠んだように

私たちも受け止めることができる。

 

そんな言葉ですね。

 

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夏草や 

兵 (つわもの) どもが 

夢の跡

 

(松尾芭蕉)

 

 

「奥の細道」

 

の中でも特に有名なこの句は、

 

1689年に奥州平泉に到着した

芭蕉が、

 

そのちょうど500年前の

1189年に

 

この地で非業の死を遂げた

義経と滅亡した奥州藤原氏を

偲んで詠んものだそうです。

 

 

 

「源氏再興」

の夢を見て、

 

夢を現実にするために

命をかけて戦い続け、

時代を動かしていった義経の

 

華やかで、はかなく、

そして哀しい生涯は30年間。

 

 

偶然にもそれは、

平成の世の長さと丁度同じ

時の長さでした。



哀しいほどによどみなく

流れ続ける時の流れ。

 

そして
回り続ける時の水車。
 

 

時は決して元には戻らず、

 

水車は絶対に

逆回転はしないとしても、

 

その流れも、回転も

人の思うようには

ならないものだとしても、

 

 

それでも、

 

私たちも自分の生涯に

許された時間を、

 

心の中にきらめくような

夢を膨らませ、

 

未来を信じて、

 

力の限り精一杯生きて、

 

 

新しい令和という時代を

幸せな時代にしていきたいですね。

 

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